「毎日1―3人は死んだ」拷問・処刑…元囚人が語るシリア収容所の実態 囚人の数は一定を保つよう「調整されていた」
囚人たちから「死の宿舎」と呼ばれていたシリアの収容所では「毎日1―3人は死んだ」と、元囚人のモハメド・ハナニアさんは証言する。ロシアに亡命したアサド大統領は、拷問や大量虐殺の責任を問われているが、こうした虐待は彼の父ハフェズ・アサド元大統領の恐怖政治時代から続いていた。 ハナニアさんは、自分を長年虐待してきたアサド政権がもはや存在しないという事実に信じがたい思いを抱いている。 モハメド・ハナニアさん 「看守は誰も死なない日があると、弱っている囚人を自ら殺していた。彼らをトイレに連れて行き、頭を蹴り飛ばしていた。囚人の数は例えば60人を超えないよう、またそれを下回らないように調整されていた」 ハナニアさんと、同じく元囚人のバシム・ファイズ・マワトさんは、8日に反政府勢力の電撃的な進軍によって解放され、ダマスカスの収容所から逃亡した。その日、アサド政権は崩壊した。「こんなことが起こるなんて誰も信じられなかった」とマワトさんはいう。 彼は、目隠しをされてこの梯子を登らされた時のことを証言した。 バシム・ファイズ・マワトさん 「登ると梯子を蹴り飛ばされ、手を後ろで縛られた状態で宙にぶら下がるのだ。肩が裂けるような痛みで言葉が出なかった。5分や10分も耐えられる人はいなかった」 「ここ、今私が立っているこの場所では、一言でも言葉を発することは許されなかった。ここでは人間の尊厳が踏みにじられ、辱められた。私は人間だ。人間だからこそ、今日ここに来た。何事も永遠には続かないということを確かめるために」 囚人たちは壁に自分の名前と日付を刻んだ。 人権団体は、シリアの拘留施設で大量処刑が行われていたと発表した。 シリアの人々は、行方不明になった家族を探すために拘留施設に押し寄せている。生き残った囚人は家族の元へ帰り、彼らがすでに処刑されたと思っていた家族から涙の歓迎を受けた。処刑された人の一部は身元が確認されたものの、まだ大勢が行方不明のままだ。 シリア反政府勢力の指導者ジャウラニ氏はこれらの拘留施設を閉鎖し、囚人の拷問や殺害に関与した者を追求する考えだ。 ハナニアさんは多くの苦しみを味わったにもかかわらず、復讐は望んでいないと話す。「この段階で、もし皆が復讐を考えているなら――赦す以外に解決策はない。しかし血で手を汚した犯罪者は裁かれるべきだ。私の権利は神にゆだねる」