「思っていたよりも40歳は落ち着いていない」 GENDA代表・申真衣さんのキャリアと人生の考え方
20歳前後まで教育を受け、65歳まで働き、その後は引退して余生を楽しむ──。そんな3ステージの人生は、「人生100年時代」の到来ですでに過去のものになりつつある。だからこそ、大人になってから人生後半戦の挑戦が大事だ。GENDA代表、ファッションモデルの申真衣さんに話を聞いた。AERA 2024年11月4日号より。 【図表を見る】2040年、申真衣さんの夢は? * * * 東京大学卒業後、ゴールドマン・サックス証券に11年勤務。現在はエンターテインメント企業GENDAの社長として従業員1万2千人を率いている。2児の母であり、女性誌のカバーモデルまでこなすという多才ぶり。 しかし、人生の選択には実は意外な要素が含まれていた。 最初の転機は高校生の時。姉と妹は父と同じ医師を目指したが、自身は経済学部を選んだ。 「反抗期だったんです。医学部に行かない代わりの目標に東大はいいかもしれないと思いました。中間子はちょっととんがっているかもしれません。親からの関心があまりない中で、何か変わったことをして、注目を得ようとする生き物なのかなと分析したりしています」 東京大学で金融工学を学び、ゴールドマン・サックス証券に入社したのは自然な流れに見えるのだが。 「伝統的な日本の企業には、自分の居場所はないかもしれないと思っていたので、それも自分の決意を後押しする材料の一つだったと感じています」 ■精神的にヘルシーに 最初に配属された金融機関向けのデリバティブ営業では業績を上げて評価もされた。しかし、すぐリーマン・ショックが起こる。債券営業部に異動になってからは結果が出なくなった。そこで辞めるという選択もあったかもしれない。実際に「辞めると周りがほっとするんだろうな」とも思った。それがとても悔しかったので、自ら願い出て、金融商品開発部に異動。31歳で金融商品開発部の部長に、33歳でマネージングディレクターに昇進する。 「本当に適材適所というものがあって、ここではパフォーマンスが悪かったけれども、別のところでは活躍できることもある。人の評価は話半分で聞いて、自分だけのキャリアとどう向き合っていくのか考えるようになりました。私はゴールドマンに11年いて、同期の中でも明らかに長い方でしたが、11年いたからできることも増えて、視野も広がる。あまり短期でビジネスも、キャリアも考えたくないとは思っています」