「コロナウイルス」をはじめとする「人類共通の敵」との戦いに向けて
AIディストピアとの戦い
人類は都市化を続ける動物であり、都市化の核心は「脳の外在化」であると書いてきた。 絵画、彫刻、文字、写真、印刷は、その「外在化された脳」の歴史的発展過程であるが、テレビ、コンピューター、インターネットは、近年の「外在化された脳」の爆発的発展であり、現在のAIはその象徴である。コンピューターは中国語で「電脳」であり、AIはそのまま「人工知能」である。つまり人間の脳は新しい脳を生んだのだ。 そして二つの危機を引き起こしている。 一つは、個人の意思の内的な危機としての「依存症」である。 電子的なゲームやスマホなどは、もともと電気現象である脳の働きに直接作用し、ごく部分的な脳と眼と指先のショートサーキットによって人間性を麻痺させるように引き込んでいく。インターネットによる国際的なゲームにも危険が潜んでいる。 麻薬、アルコール、タバコ、賭博など、人間はさまざまなものに依存する動物であるが、依存症になるほどの「のめり込み」が偉大な創造につながる場合もあるから、やみくもに規制すべきではない。しかし身を滅ぼす場合も多いのであって、麻薬のような国家的な厳しい規制、アルコールその他のような未成年の禁止、そしてそれに準じて、ゲームやスマホなどは保護者による子供への規制があってもいいだろう。 そしてもう一つの危機は、個人の意思を外的に束縛する、国家権力あるいは特定の企業などによる「監視」の過剰である。 AIが、監視カメラ、顔認証、ビッグデータ、メールの監視などと一体化して、一部の権力による人権を無視したような監視と管理の体制が生じ、逆に個人のインターネット利用が規制されるといったことだ。つまりジョージ・オーウェルの『1984年』や、オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』などで描かれたようなディストピアが出現する危機が、AIによって現実味を帯びてくる。 また国家どうしのサイバー戦争も、組織的なハッカー集団も、これに準ずる問題であろう。大規模なサイバー攻撃と防御を繰り返すのは馬鹿げたことである。国際サイバー警察のような機構をつくって、国家を含む組織的な犯罪を根絶すべきであろう。リアルのウイルスと同様、これは人類共通の敵ではないか。 ITとAIの急速な発達による人権と国家管理の問題に対しても、国際的な基準づくりが求められる。とはいえAIそのものが敵なのではない。問題はあくまで人間の側にある。AIを使う人間、その集団、あるいはその権力のあり方が問題なのだ。