「コロナウイルス」をはじめとする「人類共通の敵」との戦いに向けて
気候爆発との戦い
オーストラリアの森林火災がこれまでになく広がったことは記憶に新しい。森林火災は温暖化被害の一つとして予測されていたことである。日本は異例の暖冬だが、他にも世界では異常気象が続いている。 近代的な大量生産工業によって排出されるCO2を中心とする温室効果ガスがその原因であることはほぼ間違いない。 南極越冬隊長、国立極地研究所長を歴任した僕の友人(藤井理行君)は、南極の氷を深く掘り下げて得た72万年に及ぶデータによって、大気中のCO2濃度と年間平均気温とが相関関係にあり、ゆっくりとした変化を続けていたが、この100年で、CO2濃度と年間平均気温が急速に上昇しているということを立証している。 しかもこれは加速度的な現象である。これから開発が進む「南」の地域は、人口も多く、可能なら一年中冷房する気候で、今後、膨大なCO2の発生が予測される。「南」の近代化の地球環境へのインパクトは、「北」の近代化の比ではないのだ。 長期的な変動のグラフを見ればもはや「気候爆発」といっていい状況である。 環境の専門家はよくSDGsと言うが、文明発展と人道主義と環境制御をすべて実現させるという目標は、総花的で、もはや「きれいごと」に聞こえる。 これは環境問題ではなく「文明(燃焼エネルギーによる)」の問題であり、これについても予測と対策に関して、全世界の科学者による総合的かつ相当な規模のチームを立ち上げる必要があると思われる。
原子力との戦い
異常気象の問題がクローズアップされるということは、原子力利用の評価に変化が生じるということでもある。石油や石炭や天然ガスなどの燃焼エネルギーを使わないで、再生可能エネルギーだけで文明を維持するのは難しいからだ。 もちろんスリーマイル、チェルノブイリ、フクシマと続いた事故は、今の人間の技術力では核エネルギーを制御することが困難であることを露呈させた。しかし完全に手放すのはどうであろうか。国際的な安全管理のスタンダード化と、いざという時の対応チームの編成と、使用済み核燃料の国際的貯蔵システムが確立されれば、限定的な、期限つきの利用は考慮されていいのではないか。 東日本大震災のあと、アメリカは一時フクシマのコントロールに介入しようとしたようだ。危険を察知するとアメリカ人を80キロ圏外に避難させるという指示を出した。ある程度落ち着くと「トモダチ作戦」に切り替えて多くの被災者を助ける方針をとった。迅速果敢な対応であった。また台湾からの多額の援助など、国際的な支援が有り難かった。 これに比べて日本は、電力会社首脳も、安全委員会も、政府首脳も、有効な対応を取ることができなかった。故吉田昌郎所長が中央の指示を無視して海水を注入し、何人かの部下たちと関係会社の社員とが踏みとどまり、自衛隊と消防庁の協力によってなんとか収めたのだ。権威主義、形式主義、忖度主義におちいった日本の中枢の右往左往は情けない限りであった。技術力の高い国であり、ガバナビリティー(国民の統治しやすさ)の高い国でもあるが、ガバナンス(政府の統治力)が貧弱な国でもあるということが国際的な常識になってしまった。 つまりこういった事故の際に、国際的な対応マニュアルと専門チームが機能すれば、原子力利用はもう少し安全になるはずである。IAEAは査察に重点をおいているようだが、より実効的な協力関係ができないだろうか。