世界の中心でクイを食べる~キト(後編)【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】
■野口英世をさがせ! 講演前の昼食のとき、研究科長とパウルの同僚があることを教えてくれた。「ハポン通りに、ヒデヨ・ノグチの胸像があったはずだ」。 「ハポン(Japón)」とはスペイン語で「日本」のことである。私はこの言葉をヒントに、Google Mapsを頼りにその通りに向かい、その像を探した。 パウルの同僚は「たしか道沿いにあったからすぐに見つかるはず」と言っていたので、道沿いに目を凝らして歩いてみたが、見つからない。おかしい。 その道の突き当たりのところに、公園があった。Google Mapsを見ると「Parque Japón」とある。おそらく「日本公園」みたいなところなのだろう、とあたりをつける。 その公園の片隅に、野口英世像はあった。旧千円札と同じ髪型のその像のたもとには、スペイン語で、「日本人の科学者 1918年、グアヤキルにて、感染症を根絶するための研究に貢献した」ということが記されていた。 恥ずかしながら、ネットで改めて、野口英世の年譜を辿ってみた。彼は、アフリカのガーナとエクアドルのグアヤキルだけではなく、ペルーやメキシコ、ジャマイカにも赴いていた。まさに言葉通り、「感染症有事の最前線」に飛び込んで研究をしていたのだ。
■親切だけどちょっと「?」なエクアドリアンたち 最終日、だいぶ慣れたホテルの界隈を歩いて回る。少し足を伸ばし、パウルが勧めてくれたカングレホの店でランチを食べる。「カングレホ(Cangrejo)」とは、スペイン語で「カニ」のことである。最後のランチは、カングレホのセビーチェを食べ、飲み慣れた「PILSENER」というビールを飲んだ。 キトの人たちは、総じて驚くほどに親切であった。英語が話せない人が多いが、恥ずかしがりながらも、頑張って英語やボディーランゲージでコミュニケーションをとろうとしてくれる。そういう親切心は、なんとなく日本人のメンタリティーに似ている気がした。 たとえば、こんなことがあった。あるカフェで仕事をしようと思ったら、MacBook Airのバッテリーがなくなりそうになっていた。電源コードは持っていたが、辺りを見回してもコンセントは見つからない。ダメ元で店員に、「コンセントはないか?」と聞いてみた。大抵の国では「ない」の一言で終わるところだと思うが、その店員はいろいろ周囲に相談を重ね、なんと私のためにわざわざ延長コードを引いてくれた。ここまでの親切心は、日本でもなかなかないのではないだろうか。 ただ一方で、言うことが適当な国民性なのか、はたまた、たまたまそういう性格の人にばかりあたっただけなのかまではわからないが、ちょっと「?」なこともままあった。たとえば、2ドルのお釣りを10セント硬貨20枚で返してきたり(単に1ドル札を切らしていただけの可能性ももちろんある)、初対面なのに「娘へのメッセージを日本語で書いてくれ!」と懇願してきたり。 こんなこともあった。ホテルから空港に向かうタクシーを待っているとき、ホテルのボーイが声をかけてきた。 ボーイ(ボ)「どこから来たのか?」私「ハポン(日本)」ボ「何をしにキトに来たんだ?」私「ビジネス(仕事)だ」ボ「次はいつ来るんだ?」私「ん?」ボ「次はいつ来るんだ?」