宮崎宣子さん、先の見えない不妊治療の末に44歳で出産「もうこれで最後にしましょうという先生の言葉が救いに」|STORY
不妊治療の末に44歳で出産した宮崎さん。10歳年下の夫と再婚した年齢が40歳を越えていて、もうそういう未来はないだろうなと思っていたそうですが、後悔だけはしないように一度病院に行ってみたことがきっかっけで、41歳で不妊治療を始めることに。何度トライしても結果がついてこない現実に自分を責めてしまうこともあり、出産まで不安な日々は続いたといいます。宮崎さんに当時のことを詳しくお聞きしました。 【写真あり】宮崎宣子アナのノースリーブ姿にスタッフも釘付け
<宮崎宣子さんprofile> 1979年、宮崎県生まれ。早稲田大学卒業後、2002年から10年間日本テレビのアナウンサーとして、「世界仰天ニュース」や「ラジかるッ」を担当。2019年4月より個人事務所を立ち上げ、起業家としてもオーガニックハーブを使ったボディーケアブランドEMARA株式会社の代表としても活躍中。現在早稲田大学大学院経営管理研究科に在籍中。
子どもは諦めていましたが、後悔しないようにと夫婦で話し合い治療を決めました
高齢ということもあって、子供のことは考えていませんでした。まさか再婚するとは思ってもいなかったですし。ただ、夫と出会ってから結婚の話が出た時に、今は諦めているけれど、例えばこの先に子供がいたらどうだったんだろうと思う日が来るかもしれない。あの時何かやっておけば良かったと思うかもしれない。正直タイムリミットはあるし、できなくてもいいから後悔しないようにダメ元で、一度病院へ行ってみようと話し合い、治療を始めました。 なかなか思うような結果は得られず、ダメ元と思っていたのにやはりはじめると期待してしまうもので…。ダメだった時の落胆といつまで続けていいか分からない現実に自分を責めることもありました。
初めての妊娠、不安は出産の日まで続きました
何回か挑戦したものの、結果が出ず、落胆していたとき先生に「次の挑戦でダメだったらもうこれで最後にしましょう」と告げられました。自分でも意外だったのですが、次で最後の治療にしようと決められてからはすごく気持ちがスッキリしました。最後の治療の前日には打ち上げのような気持ちでお寿司をたらふく食べて臨みました。悲しいという気持ちよりも、正直これでもう辛い不妊治療を終えられるという気持ちのほうが強くなってましたね。