「私の夢を叶えても人生バラ色にならない」インドネシア行の夢を断ち、父の水産会社を継いだ娘 ~安岐水産 前編
◆インドネシアへの輸出業を始める
安岐氏が起業して2年ほど経った頃、転機が訪れます。 日本人向けのスーパーマーケットを経営しているインドネシア人との縁がきっかけでした。 「スーパーマーケットで扱う商品は、何千品目という数になるんですけど、それを日本で仕入れ、コンテナとエアカーゴで輸出をするという仕事を始めたんです」。 しばらくは輸出と水産加工を両立していましたが、輸出業が軌道に乗ったため、水産加工は安岐水産に返す形になりました。 15年ほど順調にインドネシアへの輸出を続けていましたが、ある時インドネシアの法律が突然変わり、1つのコンテナに何百品目も詰めて送ることが事実上不可能になってしまいます。 スーパーの棚が空いてしまう分、何かで埋められないか。そこで安岐氏が考えたのは、惣菜事業への取り組みでした。 「当時、日本食のブームがけっこう来ていたので、日本で惣菜の勉強をして、ジャカルタに行って、和惣菜のお店をするつもりでした」。
◆インドネシアの夢をあきらめた理由は
しかし、すぐにはインドネシアに行く道は開けませんでした。 ひとまず安岐氏は、日本向けの魚の惣菜を手がけることにしました。 安岐氏が惣菜事業を始めて以降、工場の増設し、従業員も行き来する形になり、安岐氏の会社と安岐水産とは1つの組織のようになっていました。 その後も家業は順調に推移していましたが、父の豊氏が病気になってしまいます。 今後会社をどうしていくのか、家族の中で不安が大きくなりました。 安岐氏は「5年頑張って会社を盛り上げるから、5年後には退職してインドネシアに行って事業を始めたい」という希望を家族に伝えていました。 しかし、3年ほど家族で話し合いを繰り返し、安岐氏が安岐水産の代表を務めることになります。 決め手は、今いる社員に迷惑をかけるわけにはいかない、ということでした。 「家族の都合で、社員さんに申し訳ないことになる。そういう状態を作ったまま、私が自分の夢を叶えるためにインドネシアに行ったとして、じゃあ私の人生はバラ色になるのかな?と思った時に、あ、それはちょっと違うな、それはできないなと思って。だったらもう、やるしかないなって思ったんです」。 覚悟を決めた安岐氏が社長に就任したのは、2019年のことでした。 後編では、安岐氏が直面した経営課題や、魚食文化を盛り上げるための新たな取り組みについて聞きます。
■プロフィール
株式会社安岐水産 代表取締役社長 安岐 麗子 93年に父が創業した水産加工会社・安岐水産に入社。94年に安岐&カンパニーを創業、インドネシアジャカルタにある日本人向けスーパーマーケットへの食品輸出などを経て、2019年に父の後を継いで安岐水産代表取締役に就任。お魚生活すすめ隊を結成し、魚食の普及や海を守る活動を通じて瀬戸内の魅力を発信、地域の活性化にも取り組んでいる。