蝶野正洋×橋本大地 ── 大阪・アメ村で「闘魂三銃士30年特別記念公演トークバトル」
「闘魂三銃士」をご存じだろうか。プロレスファンなら先刻承知だが、三銃士とは、海外修業のあと、帰国して「闘魂三銃士」として売り出された、橋本真也(故人)、武藤敬司、蝶野正洋のことで、新日本プロレスで一時代を築いたユニット名だ。その「闘魂三銃士30年特別記念公演トークバトル」がこのほど、大阪・アメ村のライブ会場「BIGCAT」(大阪市中央区西心斎橋)で行われた。登場したのは蝶野正洋と橋本大地(橋本真也の長男)、そして吉田豪が進行を兼ねたインタビュアーを務めた。会場には多くのファンが集まり、三銃士のエピソードやプロレス界の舞台裏、さらには有名選手たちの素顔が語られた。現役レスラーによる大箱会場でのトークイベントは、大阪では初めてだろう。
親父のプロレスを継がなきゃと思った
橋本真也は「破壊王」の異名を持ち、絶大な人気を博したが脳幹出血で倒れ、2005年7月11日、ついに帰らぬ人となった。満40歳。16日の葬儀には、大勢のレスラー、各界著名人、一般ファンら1万人以上が参列した。 この時、蝶野は人目をはばからず涙に暮れたと言われている。父の死後、小学6年から空手をやっていた大地はプロレスラーを目指し、ZERO-ON練習生を経て2011年3月6日、蝶野を相手にデビューを果たした。そんな大地選手をトークショーの前に直撃した。 「今年は親父がなくなって10年になるんで、三銃士のことを語りながら、蝶野さんとトークバトルをしようというイベントです。プロレスラーを目指したのは、父の死がきっかけ。亡くなって、葬儀が行われ、泣き崩れていたんですが、いよいよ斎場の火葬炉のドアを閉めた時、とにかく、親父のプロレスを継がなきゃと思った」と、大地選手は、まずそう振り返った。
当時は親父の試合しか観てなかった
橋本真也は小川直也(元柔道選手、バルセロナオリンピック銀メダリスト)と抗争を繰り広げ、これはプロレス史上、まれにみる激闘となった。5度対戦した。最後の試合に敗れて引退を表明したが、その後、惜しむ声が多く、ZERO-ONを旗揚げした。そして長州力ら人気選手と凄まじい試合を展開し、ファンを魅了したのはまだ記憶に残っている。 「今はいろんな試合を観てますが、当時は親父の試合しか観てなかった。僕にとっては普通の親父でした。優しいし、怖かったりもするし。あとで聞いてみたら、違う部分もあった。巡業でいないのが当たり前だし、帰ってくるのも夜の11時くらいは当たり前。一般的なサラリーマン生活というものが当時はまったくわからなかったですね」 そう話す大地選手はデビュー戦からして、注目の的だった。 「僕の場合、特別というか、デビュー前にデビュー日を決められたんです、3月6日だったんですけど、半年ぐらい前に言われて、そこに向けて詰め込むしかない。バイトもやめて、高校に行ってたんですけど、高校にも半分行かないような、半分は道場で寝泊まりして。だからもう、夢中でした」という。