驚愕の新説「隕石衝突が原因で絶滅」説が「崩れる」かもしれない…なんと「北極圏で冬越し」していた恐竜の「かなり特殊な口とあご」
【シリーズ・小林快次の「極北の恐竜たち」】 今から何千万年も昔に、地球の陸上に君臨していた恐竜たち。シダ類やソテツ類の茂った暖かい地域で暮らしていたイメージがあるかもしれないが、彼らは地球上のあらゆるところに進出していた。南極大陸からも、北極圏からも恐竜の化石は発見されているのだ。 ハロルドさウルスの住んでいたところは…? アラスカ化石産地の位置 この連載では、北極圏のアラスカで15年以上にわたって調査を続ける筆者が、極圏での厳しい環境で、どのように恐竜たちが暮らしていたのか、その生態と進化の謎に挑むーー。 今回は、前回の記事でご紹介した「ハドロサウルス」について、「アラスカ」という極北の地で、どのような生活を送っていたのかを考察していきます。
恐竜化石が残した絶滅に対するメッセージ
この論文と同じ年に、Brouwers et al. (1987)によって「アラスカ州ノーススロープの恐竜:高緯度の白亜期末期の環境」という論文が発表されている。こちらの論文は、先の論文よりも、岩石のデータが多く報告され、当時の環境について言及されている。 恐竜について追記に値するものとしては、この地層には多くの有機炭素が含まれており、ハドロサウルス科の骨はランベオサウルス亜科のもの(ただし、1989年にはアメリカの学会においてリスコム恐竜化石産地のハドロサウルス科は、エドモントサウルスであると同定されている[Nelms, 1989])、発見された獣脚類の歯は複数でティラノサウルス科やトロオドン科のものであるということだろうか。 また、他の微化石や植物化石などをもとにして、白亜期末の地層であることを確認している。 さらに環境については、流れの緩い河川環境であり、海水の影響も受けているが塩分濃度は低く、三角州といった海に近い環境であったとされた。三角州の低地にはトクサ類やシダ類、被子植物といった植物が茂っており、高いところには針葉樹の木が生えていたと考えられた。 三角州より上流には、アメリカのモンタナ州の植生(現在の常緑植物最北端)に相当する落葉針葉植物からなる温帯から冷温帯の落葉樹林が形成されていた。つまり、恐竜時代のノーススロープの冬は、太陽光がなかったか大幅に減少していたことを示すということだ。 当時の気温は、暖かい時期の月平均気温が10度から12度、寒い時期で2度から4度だったという。霜が降りた可能性はあるが、数週間や数ヶ月といった長い時期に渡って氷点下の気候が続いたとは考えられないと結論づけた。 恐竜時代の緯度は、北極圏内だったため、一日中太陽が昇らない極夜が数日続いたことはあっただろうが、比較的“暖かかった”と考えられた。それでも、落葉性の植物が多いことから、毎年冬になると餌が少なくなり、ハドロサウルス科の恐竜たちは、食糧不足になった可能性が高い。 水の中にはえる植物や地表を覆っている枝、そして常緑針葉樹が、冬の間の餌となっていた可能性があるが、幼い子供を引き連れたハドロサウルス科の家族は、越冬せざるをえず、冬には活動レベルを下げる必要があった。この恐竜は、恐竜の中で最も植物を食べるのに優れていた。角質の嘴や、顎には歯がびっしりと生えたデンタルバッテリーと呼ばれる構造を持つことで、残された少ない植物を食べて越冬したのだろう。 この論文の最後にはこう書かれている。「隕石の衝突により、数週間から数か月、暗闇の期間が続き気温も大きく低下し、恐竜が絶滅したとされている。しかし、ノーススロープの恐竜が渡りをせずに越冬したとしたら、恐竜には寒い気候や暗闇に適応する能力があり、隕石衝突が恐竜絶滅の直接の原因ではないのではないか」と。 この仮説は、私がアラスカ調査に行き続ける理由である。この可能性を追い求めて、私は2007年から現在まで毎年アラスカ調査を続けている。