インカに残る謎…運び出すのに、なんと1800人も必要な「巨石」。施された「精巧な加工」に使用されたはずの道具が「跡形もない」
あの時代になぜそんな技術が!? ピラミッドやストーンヘンジに兵馬俑、三内丸山遺跡や五重塔に隠された、現代人もびっくりの「驚異のウルトラテクノロジー」はなぜ、どのように可能だったのか? 現代のハイテクを知り尽くす実験物理学者・志村史夫さん(ノースカロライナ州立大学終身教授)による、ブルーバックスを代表するロング&ベストセラー「現代科学で読み解く技術史ミステリー」シリーズの最新刊、『古代日本の超技術〈新装改訂版〉』と『古代世界の超技術〈改訂新版〉』が同時刊行され、続々と重版を重ねています! 【画像】あまりに精巧すぎてスペイン時代が見劣りしてしまう「インカの石積み技術」 それを記念して、両書の「読みどころ」を、再編集してお届けします。今回は、インカに残された遺跡に見る「石積み建造物」の謎を探っていきます。
巨大な石をどう切り出し、運んだのか
インカの遺跡といえば、図「インカの石組み」に示すような“カミソリの刃すら通らない”精巧な石組みが有名であるが、数百トンの巨石を使った遺跡もある。 クスコの北方、ウルバンバ川の支流であるパタカンチャ川が流れ込む直前の河岸平地と両側の急な斜面に建つオリャンタイタンボ遺跡には、高さ約4メートル、幅約1.5~2.5メートル、厚さ約2メートルの巨石が6枚並んだ「六枚屏風」とよばれる巨石の壁がある(図「オリャンタイタンボ遺跡の“六枚屛風岩”」およびトップ画像)。 重さは最大のもので約80トンと推測されており、巨石と巨石の間には幅が15センチメートルほどの板状の石が挟まれ、これまた“カミソリの刃すら通らない”精巧な石組みになっている。この「六枚屏風」は、遺跡の頂上の太陽神殿の一部を構成していたと考えられる。 材料は数キロメートル下流にあるカチカタから切り出された斑岩(はんがん)で、表面に遺された突起にロープをかけて引っ張って運んできたというのが定説である。 “古代”ならまだしも、日本でいえば室町時代まで、つまりほんの500年ほど前まで、インカには車輪やコロが存在せず、馬のような大きな力をもつ家畜もいなかったというのは不思議なことであるが、インカ人はまちがいなく、数千人を動員して人力のみで巨石を運んだのである。 巨石で有名なものとして、ほかにクスコ近郊のサクサイワマン遺跡がある。ここには最大250トンと推測される巨石があり、採石場所からは35キロメートルも離れている。 このような重さの石を人力のみで運んだとすると、ロープのかけ方、ロープの強度、運搬人の配置などに難問が残り、不可能と結論する学者もいるようであるが、実際に人力のみで(“宇宙人”の手を借りることなく)運搬したのは疑いようのない事実である。