今でいうなら、キラキラした「インスタグラマー」のききょう、本音ぶちまけ「X民」のまひろ⁉ 【NHK大河『光る君へ』#38】
史実においても紫式部は清少納言と文学に対する考えが相容れなかった
清少納言は『枕草子』において自分が気に入ったものを綴っています。例えば、「あてなるもの(上品なもの)」には「甘い汁をかけたかき氷」「雪のかかった梅の花」などが書かれています。これらの記述はInstagramのオシャレ女子の投稿と似通う部分があると思います。こうした投稿に「自分もそう思う!」「うわあ。ステキだよね!」と共感はできますが、つらいときに心の慰めになるものではありません。また、紫式部は清少納言が自慢話を書いているとも批判していますが、Instagramにおいても「あのユーザー、また自慢してるよ」と思うことってありますよね。 紫式部の清少納言への批判は「軽薄な人」「風流ぶっている人は本当につまらないときも、感動しているように振る舞うから自然と不誠実な態度になる」といったもので、考えの浅さや真実味に欠けていることを指摘するものが多くあります。世の中や人間を深く観察する中でこの世界は美しいだけではないことを知った紫式部にとって、清少納言のキラキラとした世界観はどこか違和感を覚えるものだったのかもしれません。 現代でいえば、紫式部はX(旧:Twitter)に本音をぶちまけるタイプ、清少納言はInstagramの自身の投稿ページに華やかな世界観を創り上げるタイプといえるのかも。
伊周の苦しみは限界に。呪詛に頼る伊周
本放送では、ライバルともいえる相手に怒りをぶつけているのはききょうだけではありません。伊周は道長に対する怒りや嫉妬に限界がきたよう...。 内裏では敦成親王のご寝所の下から呪詛の道具が見つかり騒ぎになります。 行成(渡辺大知)の調査の結果、呪詛を依頼したのは伊周の縁者であり、円能という僧がかかわっていることが分かりました。伊周と敵対する者を排除するために行われたのだそう。道長らは呪詛にかかわったものをどのように罰するべきか話し合いますが、厳しい罰を要求する者も多くいました。伊周については参内停止となりました 伊周が自ら呪詛を行うシーンもありましたが、その姿は気がふれているといっても過言ではなく、鬼気迫るものでした。 自分の力は衰えていく一方、ライバルが成功の道を威勢よく歩く姿によい気はしないのが人間というものでしょう。また、伊周は道隆(井浦新)の嫡男で、才色兼備の自信家ですが、彼にもダークサイドがあり、麗しい顔の下では怒りや嫉妬、挫折感などがうずまいています。 伊周は自分の心をコントロールすることがもはやできなくなり、道長の前で怒りをぶつけ、呪いの言葉を口にしました。伊周は呪いの言葉をつぶやくことで道長を蹴落とそうとするだけでなく、自分の心を落ち着かせようとしているようにも見えました。 権力を得るために神経をすり減らし、身も心も疲れ果てた伊周の姿は、当時における権力闘争の厳しさを物語っているといえます。すべてを懸けてねらってきたものを手にできなかったとき、人間は正気を保ち続けられるのでしょうか…...。 ▶つづきの【後編】では、平安時代の名づけ事情についてお届けします。
アメリカ文学研究/ライター 西田梨紗