ノーベル平和賞の重責抱え、心不全を患いながら授賞式へ 日本被団協代表「長崎を最後の被爆地に」【広島発】
「何としても…」病をおして授賞式へ
ノーベル平和賞の受賞が決まって以降、海外からの取材も絶えない。 この日はスウェーデン公共放送の取材だ。通訳が日本語で「ストックホルムの式典で上映されるものと、スウェーデン公共放送で上映されるものです」と説明。箕牧さんは長時間の取材にも体調が許す限り対応した。 しかし、82歳。決して、体調がいい日ばかりではない。スウェーデン公共放送の取材を受けた翌日、箕牧さんの姿は病院にあった。胸のレントゲン写真を見せながら院長が忠告する。 「心不全の状態で、82歳の人が飛行機に乗ってオスロに行く。医者だけの理屈で言えば、それは大丈夫ですかって言われたら大丈夫じゃない」 箕牧さんは2年前から持病の心不全を患っている。ノーベル賞の受賞決定後、緊張やストレスでむくみがひどくなっていた。それでも決意は変わらない。 「日本被団協、広島県被団協、長い歴史の中でちょうど私がノーベル平和賞の時に理事長を務めさせてもらっている。私としては何としてでも行って、賞をもらうだけじゃなくて被爆証言をして世界の皆さんに核兵器をなくすように訴えたい」 1人の思いではない。核兵器廃絶のために活動してきた多くの人の思いを背負っている。その重みは想像を絶するものだ。箕牧さんは授賞式に参加するため、2週間あまり入院し、体調を整えることになった。
オスロから世界へ核兵器廃絶訴える
入院中の11月22日、箕牧さんは外出許可を得て病院から出てきた。平和公園で署名活動を行うためだ。折しも21日にロシア軍が中距離弾道ミサイルをウクライナに発射したと発表し、世界中に緊張感が走る中での活動。平和公園へ向かう移動中も、焦りが見える。 「ほんまに核兵器が使われる日が来るんじゃないかと思う。被爆者が1人もおらんようになった頃に、どんな世界情勢になるんか。心配よのう」 広島市中区の平和公園。箕牧さんを始め県被団協など7つの被爆者団体の代表が、観光客などに署名を呼びかける。 「日本は核兵器禁止条約に署名・批准していません。日本が参加するよう、署名で政府に訴えていこうではありませんか」 2カ月に1度、地道に続けてきた署名活動。日本被団協の「ノーベル平和賞受賞」が決まったこともあってか、普段よりも多い83人が署名に応じた。世界で核兵器使用の脅威が高まるにつれ、箕牧さんは改めて責任の重さを感じている。 「オスロから世界へ核兵器廃絶を訴えていかないと。明日にも核兵器が使われるかという厳しい状況です。『長崎を最後の被爆地にしよう』というのがわれわれの考えですから」 生きている被爆者のメッセージに耳を傾けよう。今ならまだ間に合う。 (テレビ新広島)
テレビ新広島