優れたマネジャーは無秩序な組織をつくる
■リーダーシップよりコミュニティシップ 組織とリーダーシップは、切っても切れない関係にあるとみなされている。どの組織にも組織図が用意されていることが、その証拠だ。組織図を見れば、誰が誰のリーダーかが一目でわかる。しかし、誰が誰と一緒に、何をどのように実行するのかは見えてこない。私たちは、誰が正式な権限をもっているかにこだわりすぎていないだろうか。 次の図を見てほしい。上はある会社の組織図、下はその会社の組織改編後の組織図である。 2つの組織図の違いがわかるだろうか。四角の中に記される人間の名前は変わったかもしれないが、組織図自体は同じだ。つまり組織の構造は変わっていない。組織では、誰がどの四角に入るか、その四角の中のボスは誰か、だけを決めればいいと考えられている。 企業はなぜ組織改編が好きなのか。それは、とてもお手軽だからだ。なにしろ、紙の上で人を動かすだけで状況が一変する建前になっている。しかし、実際に変わるのは、紙の上のことだけだ。そんなことをする代わりに、みんながオフィス内をあちこち動き回り、社内に新しい人的ネットワークをつくることに努めたらいいと思うのだが。 「リーダーシップ」という言葉は、必然的に一人の個人に光を当てる。リーダーがメンバーへの「エンパワーメント」(権限委譲)をおこなう場合も、その点に変わりはない(そもそも、いわゆるエンパワーメントが本当に必要なのかという問題もある)。たいていは、白馬にまたがった騎士がさっそうと現れて、組織を窮地から救うというイメージだ(白馬の騎士が突き進む先は、出口がないブラックホールだったりもするのだが)。いずれにせよ、誰か一人がリーダー(導く人)になれば、それ以外の全員はフォロワー(従う人)にならざるをえない。私たちは、そんなフォロワーだらけの世界を本当に望ましいと思っているのだろうか。 あなたが素晴らしいと思う組織を思い浮かべてほしい。おそらく、その組織には、リーダーシップ以上に、強力なコミュニティシップの精神が浸透していることだろう。組織としてうまく機能するのは、生身の人間のコミュニティであって、「人的資源」の寄せ集めではない。 ある組織にコミュニティシップが存在するかは、どうすればわかるのか。見分けるのは簡単だ。そのような組織では、職場にエネルギーが満ちあふれていて、人々が献身的に働き、仕事に熱中している。わざわざ正式に「エンパワーメント」する必要もない。もともと強い参加意識をいだいているからだ。組織がメンバーを大切にするので、メンバーも組織を大切にする。人々が解雇に脅えることもない。リーダーという名の誰かが最終的な数値目標を設定したりはしないからだ。 リーダーが不要なわけではない。特に、新しい組織にコミュニティシップを確立したり、既存の組織でそれを維持したりするためには、リーダーの役割が欠かせない。不要なのは、過度にリーダーシップを重んじる姿勢だ。誰か一人を選んでリーダーの座に据え、その人物を組織づくりの唯一の最重要人物と位置づけ、途方もない金額の給料を支払うようなことは、もう終わりにしたほうがよい。コミュニティシップの中に組み込まれた「必要最低限のリーダーシップ」が一番だ。
ヘンリー・ミンツバーグ