83歳会長「10人中6人が美味いと言うラーメンでいい」…年商500億円「日高屋」が見つけたさらに儲かる"宝の山"
■屋台の末路を先読みして「駅前出店」を着想した 当社は、現在でも創業の地である埼玉・大宮などに4店舗を残している中華料理店「来来軒」(第1号店は「来々軒」)を73年に開店し、私、実弟、妹の夫である義弟が中心となって多店化を図ってきました。2、3店舗までのときはよかったのですが、20店舗ほどになると、当時はマニュアルも整備できていませんでしたし、作る人によって味が変わり、「甘い」「しょっぱい」とクレームが集まって困った。それで、マニュアル化のしやすいラーメン専門店になることへ逃げていったんです。 50店舗まで拡大するころ、資金調達のために99年に株式公開へ漕ぎ着けたのですが、マニュアルで作り方やレシピを統一したスープの味が地域色の強いところでは逆にお客さんの好みに合わず、売り上げがどんどん落ちていってしまった。弱った末に来来軒とラーメン店の真ん中をねらって2002年6月、東京・新宿に新規出店したのが日高屋です。料理のメニューを増やし、マニュアル化を進めれば、ある程度はチェーン展開できるのではないかと見込んだ。「時代の変化」に乗って、少しずつ軌道に乗っていきました。 もう一つ、私の念頭にあったのは、昔は、大宮はもちろん、東京の上野や新宿など、駅前に屋台のラーメン屋、おでん屋、さらに一杯飲み屋さんがたくさんあって、終電間際までどこも黒山の人だかりで繁盛していたことです。ただ、屋台は、公道を占拠しているうえ、自前の水道設備も持たないので衛生的にも問題があり、やがて警察や役所が動いて消えていくと思った。駅前に群がっていたお客さんにうちへ来ていただこうと考えたのが、家賃もコストも高い主要駅前に無理をしてでも日高屋を出店していった、いちばん大きな理由ですね。屋台がなくなっていくのも「時代の変化」でしょう。だから、やはりライバルは「時代」だと思っているんです。銀行に融資を頼みに行っても「地価が上がっているときに駅前出店など時代錯誤も甚だしい」と笑われて相手にされませんでしたが、私はやがてなくなる屋台のお客さんに必ず来ていただける新たなマーケットになるという確信があった。別に私に先見の明があったとはまったく思いません。時代の変化にうまく乗ることができた。難しいからこそ、やりがいがあったんです。 ほかにも大きな転換点はありましたね。創業した当時は、製粉会社や調味料メーカーに、麺やスープの作り方を教わっていました。彼らは、自社の原料が売れるので、喜んで教えてくれる。しかし、それでは品質が保てても、コストは高いままです。さらなるコストの削減をねらって300店を超えた12年の翌年に埼玉・行田にセントラルキッチン(工場)を増設し、麺やスープ、具材などの自社製造化に踏み切りました。原材料費や加工コストを大幅に下げることが可能になって、今も中華そばが第1号出店時と同じ390円でご提供できています。 私は金融機関を回って金策に走りながらどんどん店を出す役に徹して、実弟は素人ながら工場の責任者として、義弟はとにかく味の研究に勤しんできた。面白い会社なんです。3人とも未経験のことを担当した素人で、周りの専門家に一つずつ教えてもらってきた。この3人の結束が揺らがず、社員やパートさんたちもついてきてくれ、年商500億円を超えるようになりました。 では、「おいしい」の定義とは何か。10人が食べて、必ずしも全員ではなく、6、7人が「うまい」と言ってくれるくらいでいいのではないかと私は思っているんです。それが「飽きない味」、つまり「おふくろの味」となって、お客さんに親しまれる。高級すき焼き店のようでは、とても毎日は食べられませんし、飽きが来てしまう。飽きの来ない味の研究はまだまだ続けます。 多くの店で24時間営業をしていたとき、遅番勤務の人が急に出勤できなくなって、昼間から働いている私が朝まで店に立ったことは数えきれないほどあります。ろくに睡眠もとらずに働き続けられる丈夫な体に産んでくれた両親にありがたく感謝しています。 女性パートさんにも調理しやすいよう、重かった中華鍋の軽量化を独自に実現したり、腕を痛めたりしないよう、チャーハンは一度に3人前を超える量は作ってはいけないというマニュアルも徹底したりしています。給料も、同業他社より高く設定しています。私は83歳になって、車の運転免許証は返納したし、運転手付きの専用車もありません。毎朝、会社に来られるだけでうれしい。 ※本稿は、雑誌『プレジデント』(2024年11月15日号)の一部を再編集したものです。 ---------- 神田 正(かんだ・ただし) ハイデイ日高代表取締役会長 1941年生まれ。73年に大宮市(現:さいたま市)内にラーメン店「来々軒」を開店。78年に日高商事(現:ハイデイ日高)を設立、代表取締役社長に就任。2009年から現職。 ----------
ハイデイ日高代表取締役会長 神田 正 構成=樽谷哲也 撮影=門間新弥 図版作成=大橋昭一