10歳だけど読み書き、計算は遠い夢…自閉症の息子の誕生日を喜べない、母の複雑な“胸中”
息子の体が大きくなることへの不安
体が大きくなったことで、介助や行動の制御がしにくくなったという問題もあります。力が大きくなったので、病院などで嫌がったとき、抑えるのも容易ではなくなりました。 息子は比較的おとなしいタイプなので助かっていますが、「これから先、もっと大きくなって、私よりも大きくなったらフォローし切れるのだろうか…」という不安は常にあります。 また、将来的に息子は施設などにお世話になるかと思いますが、施設はどこも空きがなく、入るのが大変だといわれています。良い施設が見つかるか、不安でいっぱいです。 息子がもっと小さい頃は、「まだまだ先のこと」と思っていましたが、もう小学校高学年。施設に入所するのに10年待ちなどは当たり前なので、障害を持った子どもの保護者からは、「中学生くらいになったら探し始めておかないと、いざ大人になって入りたいと思ってもなかなか入れない」という話を聞くこともあります。 息子と離れて暮らすことも、施設探しの荒波にもまれにいくことも、刻一刻と近づいてきているのだと思うと、少し憂鬱(ゆううつ)になります。 このようなさまざまな事情から、誕生日には、息子が元気で育っていることをうれしく思うとともに、「ずっとこのままの年齢、このままの大きさでいてくれたら…」と思わずにはいられないのです。
「生まれてくれてありがとう」と感謝
息子が年を重ねることについて、ネガティブなことを書き連ねてしまいましたが、やはり「息子がこの世に生まれた日」という誕生日は、私にとって特別な日であることに変わりはありません。 息子を10年育ててきて、もちろん大変なことはたくさんありました。普通だったらしなくていいようなつらい経験も数えきれないほどしましたし、何度も泣きました。でも、息子の小さな成長がうれしく、喜びの涙もたくさん流してきたのです。 息子に障害があってよかったとは決して思いませんし、私は息子の障害を「個性」などときれいごとにすることはできません。何より息子本人が、障害があることで生きづらさを感じていると思うからです。 しかし、私は親として、障害がある息子を育ててきたからこそ出会えたすてきな人たちがたくさんいました。 障害がある息子を通して、初めて、これまで何の縁もなかった障害児者の世界を知ることができました。私にとっては驚きやショックがいっぱいでしたが、その分、見識や人生の教訓を得て、自分が成長できたと思います。 そして今、こうして自分の好きな「書くこと」を仕事にできているのは、息子のおかげでもあります。 何よりも、障害があってもなくても私と夫のかわいい息子であることに変わりはありません。息子の10歳とは思えない、幼くあどけないきょとんとした顔を見ると、いとおしさがこみ上げてきます。 複雑な思いを抱えても、やはり、息子が「生まれてきてくれたこと」に感謝する、それが私にとっての息子の誕生日です。
ライター、イラストレーター べっこうあめアマミ