「新規参入でもシェアを取れる」トリドールHD粟田社長が語る、外食産業市場のダイナミックな可能性とは?
そもそも、飲食店の運営は「ごちそうさま」と感謝され、代金もいただけるという稀有な商売です。私は早くに父を亡くし、高校生の頃から工場の作業員や警備員のアルバイトをしていました。知り合いから紹介してもらったこれらのアルバイトは、1回毎に現場が違い、わけもわからず指示されたことをやったり、決められた場所に立っていたりするだけ。勤務中は時間が早く過ぎることを願うばかりで、仕事とは苦痛な時間と引き換えに金銭をもらう行為なのだ、という少しひねくれた考え方をしていました。 大学生になって喫茶店で働きはじめ、その考えは一変しました。ここでは、コーヒーの淹れ方を学んだり、お客様とお話ししたりすることで店の売上に貢献できるのです。自分が行動することで結果を変えられる。言われたままのことをやっていた時とは違い、自己効力感が得られ、仕事が楽しくて仕方なくなりました。初めて働くことに意義を見出せたのが、飲食店の仕事だったのです。 「接客が楽しいのであれば、他の小売業でも良いのでは」と思われるかもしれません。私が飲食店の良さだと感じているのは、発注、調理、提供、そしてお客様に喜んでいただくという一連のサイクルが短いところです。さすがに野菜をつくったり、魚を獲ったりするところからはできませんが、それ以外の作業がほぼ一人で完結する点にもやりがいを感じたのです。 さらに飲食店では目の前にお客様がいて、自分が作ったものを食べていただける。反応がリアルタイムで返ってきます。日々の営業や生活の中の気づきが、事業の成長に直結するのです。究極のtoC(対消費者)の事業が飲食店運営ではないでしょうか。こんなにおもしろいビジネスは他にありません。 ■ なぜ外食市場の成長は止まってしまったのか ここで少し外食産業の歴史を遡ってみます。私は1961年生まれで、子どもの頃は身近に外食する店、特にチェーン店はなかったと記憶しています。当時の外食産業の市場規模は5兆円ほどだったようです。食品の購入も八百屋や魚屋といった個人店がメインでしたが、この後スーパーマーケットが台頭してきます。チェーンストア理論が脚光を浴び、近代化が進んだ時代でもありました。 1970年、日本におけるファミリーレストランの先駆けである「すかいらーく」の1号店がオープンします。ファミリーレストランは最先端の業態として、大行列ができていました。私の世代には、ファミリーレストランでナイフとフォークの使い方を覚えた、という方も多いのではないでしょうか。