ゴーン逃亡 会見で浮かぶ「和の論理」の困難
憲法改正と「和を鍛える」
安倍政権の悲願とされる憲法改正であるが、たとえ実現したとしても、日本が平和を希求する不戦の国という基本方針は変わらないであろう。日本国憲法は、前文にあるように「平和を愛する諸国民の公正と信義」を前提とする「和の論理」で構成されている。 しかし現実の世界は、軍事的なパワーバランスで均衡が保たれている。その現実を理解しない「和の論理」は、やはり日本の特殊性と見なされてしまうだろう。アメリカの軍事支配から這い出て、少しでも独自の道を行こうとすれば、たちまちこのギャップに直面する。目下の問題となる日米安保の負担をめぐる交渉においても、その弱みが露呈する。 また「和の論理」には、その枠組みを強くして外部に対して閉じていく傾向があり、内部における「甘えの構造」(土居健郎)を蔓延させる欠点もある。国際社会における経済や情報の戦いには弱みとなるだろう。 とはいえ、日本が諸外国のような「主張の論理」の文化に転換すること、世界のパワーバランスに主体的に対抗していくことは現実的でもないし、またそうするべきでもないと考える。主張と闘争の世界において「異なるものと和する」という日本文化の特質は維持したいものではないか。またいつか、それが強みとなる局面もあることを信じて。 今われわれは「主張の論理」が衝突する世界に適合するように「和の論理」を鍛え上げていかなくてはならない。日本文化を維持するためには、冷徹な現実認識と、しなやかな謙虚さと、必要な説明を怠らない、気の遠くなるような努力の継続が要請される。