省エネ、低価格「軽自動車は芸術品」 スズキ・鈴木修相談役、アルトから注ぎ続けた情熱
スズキを世界的な自動車メーカーに育て上げた元会長で相談役の鈴木修氏が94歳で死去した。多くの功績を残した鈴木氏が、開発から刷新まで心血を注いできたのが「アルト」だ。国内累計販売台数530万台を突破した主力商品で、今日の軽自動車の地位を確立した名車だ。 【写真】販売開始30周年の記念式典で、初代「アルト」と写真に納まるスズキの鈴木修氏 「さわやかアルト 47万円」のフレーズで昭和54年5月、売り出されたアルトは徹底的なコストカットのたまものだった。 直線を基調としたシンプルなデザイン、ラジオや時計はオプションとし、助手席ドアの鍵穴も省略した。当初目標の45万円こそ達成できなかったものの、50万円を切り、発表会場はどよめいた。価格破壊の先駆けとなった。 使い勝手の良さからターゲットの1つとした女性ユーザーの支持も集めた。当時、オイルショックから立ち直り、乗用車の販売台数が持ち直しつつある中で、軽自動車は逆に減少していた。「省エネ」「気軽に乗れる」「低価格」といった鈴木氏が求めたDNAが刻まれたアルトは軽自動車ブームを起こした。 「軽自動車は貧乏人の乗り物」との声に生前、鈴木氏は「一定の制約の下で挑戦したからこそ技術力は向上する。技術屋から見たら軽自動車は芸術品だ」と胸を張った。 アルトは9代目までモデルチェンジを重ね、外国の乗用車のモデルとなるなど、自動車業界でまばゆい光を放ち続けている。