<甲子園交流試合・2020センバツ32校>仙さんの思い胸に 倉敷商、負けじ夢舞台 15日、仙台育英と対戦 /岡山
兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で開かれている「2020年甲子園高校野球交流試合」。新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止となった今春のセンバツに8年ぶり4度目の出場予定だった倉敷商は、15日に仙台育英(宮城)と対戦する。1試合限りの大舞台はOBで野球殿堂入りも果たした星野仙一さんが2018年1月に死去して以降、初めての甲子園でもある。生前、「高校野球は私の原点」と母校の活躍を楽しみにしていた星野さんと付き合いがあった人たちは、「生きていたらきっと応援に駆けつけただろう」と口をそろえる。【松室花実】 【真夏の熱闘】交流試合の写真特集はこちら 星野さんは1962年に入学し、3年時にはエースとして活躍。「倉敷商業高校野球部史」への寄稿では、忘れられない試合に3年夏、甲子園出場をかけて米子南(鳥取)と対戦した東中国大会決勝を挙げている。前年の練習試合で16-0で大勝しており「負けるわけがない」と思っていたが、2―3で逆転負けし、「自然に涙があふれたことを昨日のことのように覚えている」と振り返っている。 明大進学後も毎年、春のリーグ戦が終わると倉敷に帰り、母校で後輩たちの指導をした。1学年下でのちにプロ野球・ヤクルトで活躍した松岡弘さん(73)は「当時の星野さんは相当厳しかった。でも一生懸命やっていれば何も言わない。手を抜くと『できるのになんでやらないんだ』。そういう教えだった」と懐かしむ。 68年にプロ入りし、中日のエースとして通算146勝。闘志むき出しの投球スタイルで人気を博した。現役引退後は中日、阪神、楽天の監督を務めて4度のリーグ優勝に導き、楽天監督だった2013年には念願の日本一に。数々の功績をたたえられ、17年に野球殿堂入りした。 趣味のゴルフを通じて35年来の付き合いがあり、星野仙一記念館(倉敷市中央1)の館長を務める延原敏朗さん(79)は「母校愛は人一倍強かった」と語る。母校の試合結果は常に気にかけ、甲子園に応援に駆けつけるときは必ずアルプス席に立った。首の手術後、コルセット姿で応援したこともあったという。「自分が行けば士気が上がると思って、暑くても寒くても必ず学校のみんなと応援していた」という。 1973年から2005年まで野球部の監督を務めた長谷川登さん(69)は、甲子園出場時、星野さんが宿舎に激励に訪れ、「わしは甲子園に出られなかった。お前らは大したもんじゃ」と話していたと明かす。 現在のチームにも、星野さんにちなんだ練習がある。打撃を中心に指導する伊丹健部長(40)が考案した「仙一メニュー」。昨秋、明治神宮大会に出場した際、強豪との力の差を痛感、打撃力を磨こうと1日1001スイングを課している。 星野さんに憧れを抱く選手も多く、原田将多主将(3年)は「戦いに命を懸けているというイメージ。負けじと熱い思いを持って戦いたい」。母校が甲子園に出場すると必ず「一つは勝てよ」とエールを寄せていたという星野さん。選手たちは偉大な先輩の思いも胸に、念願の甲子園での勝利に全力を注ぐ。