「いかに安く売るか」から脱するために オリジナルに挑むセメント会社が開発した駐輪ブロック
1940年に創業した小河原セメント工業は、U字溝やマンホールといった、コンクリート製品の製造・販売で事業を拡大していきました。しかし、規格品しか手がけていなかったため、次第に価格競争に巻き込まれます。オリジナル製品の開発から営業手法までを同業他社で学んだ4代目の小河原隆次さんは、家業に戻り、開発部門を設け、改良版「U字溝」や「駐輪スタンド」など約100種ものオリジナル商品を開発し、利益率アップに貢献しています。 【写真特集】下請けだけじゃない 中小企業の技術がつまった独自製品
コンクリート瓦の製造が起源
小河原セメント工業(茨城県水戸市)は、小河原さんの祖父母がコンクリート瓦の製造事業で、起業しました。当初は戦時中ということもあり、国から配給されたセメントを材料に製造を行っていた程度でしたが、戦後になると一気に需要が増加。 その波に乗り、近くでコンクリートブロックなどを製造する企業も買収し、法人化。以降は瓦に限らず、縁石、U字溝、マンホールといった社会インフラ、公共工事で使われるコンクリート製品の製造・販売で業容を拡大していきます。 現在では細かな製品も含めると約1000種類ほどの製品を取り扱い、従業員約50人、売上高約14億円にまでに事業を拡大しています。
規格品しか製造できない体制だった
ただし、小河原さんは小河原セメント工業を継ぎたいとは正直思っていませんでした。それでも、特に興味のある分野がなかったことなどもあり、父親の紹介で群馬県の同業者に就職します。 そんな経緯で働き出した会社は、仕事の内容も業績も、父親の会社とは異なっていました。1つ目は、現場の状況に最適な製品を開発できる技術力を持っていたことです。 具体的には、構造計算の知識やスキルです。こうしたスキルがあれば、対象となる現場でコンクリート製品に求められるサイズや強度が、適切であるかどうかが分かるからです。 2つ目は、営業スタイルです。父親の会社は、構造計算をできる人材がいなかったこともあり、規格品だけを製造・販売していました。そのため同業者との差別化の大きな要素は、いかに安く売るか、だったのです。 製品の質はそもそも、自治体や国が基準を設けているためクリアして当たり前。それなりの企業であれば、大差はありませんでした。 そのため懇意にしている建設・土木会社が、自治体などの公共工事の入札を決めた途端に、お祝いの言葉と菓子折りを片手に営業していたのです。 対して群馬の会社は、建設会社の上流、発注元である自治体や建設・土木コンサルタント会社などに、自社が開発した製品を使えば、より良い工事や工事後の安全性がより担保できると営業していました。そして実際、採用されてもいました。 「仮に他の同業者が受注したとしてもつくることが難しく、結果として(この群馬の会社に)発注される流れにもなっていました」