彼女とのセックスで射精したけれど、まだ童貞かもしれない
No勃起セックスで、解けた呪い
そんなことを考えるようになったきっかけは、とある女性との出会いだった。その人はセックス中に僕が勃起できないときに「まぁ、そういうこともあるよね」と、なんの失望感も罪悪感も抱かずに言ってくれた。そんな風に言ってくれる人を目の前にして初めて、自分は必ずしも射精を目的とするセックスを求めていたわけではなかったのだな、ということに気がついた。 恥を承知で言えば、僕は人間の営みのなかでセックスだけが、ありのままの自分を受け入れてもらえる場所なのだと思い込んでいた。しかし実際にセックスを経験してみると、そんなことはなかった。セックスは、たまに勃起ができないだけで「私に女性として魅力を感じてないってこと?」と残念がられたり、「なんか申し訳ないわ…」と罪悪感を抱かれてしまうような場所だったのだ。これじゃあまるでノルマが達成できないときに怒られたり悔しがられたりする仕事みたいな場所じゃないか、勃起したりしなかったり射精したりしなかったりする等身大の俺をそのままに受け止めてくれよ! と、心のどこかで失望していた。 そんな自分の抑圧している感情に気がついたのが、自分が勃起できなくても「まぁ、そういうこともあるよね」と全く動じない女性に出会ったときだった。この人なら等身大の自分のことを受け入れてくれるのではないか、と思ったのだ。
辿り着いた「セックス」の可能性
しかしそこで初めてぶつかった問題もあった。それは「勃起しないことに動じないこの人にとって、セックスの終わりとはなんなのだろうか?」ということだった。それまでの僕は、射精して終わるか射精できずに残念がられて終わるかの2択のセックスしかしたことがなかったから、その2択以外にセックスの終わり方というものを知らなかった。 自分が勃起できないときのその人とのセックスがどのように終わりを迎えたのかというと、手と口でひたすら愛撫を続けて相手が何度かオーガズムに達したあとそのまま一人で寝てしまって終わることもあったし、「これ使ってほしい」とおもちゃを手渡されて「もういいよ」と言われるまでおもちゃで責め続けたこともあったし、相手の反応を窺いながら「満足した?」と直接的に聞いて「うん、満足した」と言ってもらって終わることもあった。こんな風にセックスが終わることもあるのかと驚きの連続だったが、しかしそうした際に相手から言ってもらえる「満足した」という言葉は、本心から出てくる言葉なのかはわからないものだと思った。その言葉の裏にはなにか不満が隠されているのかもしれないし、その不満を言いづらい状況を自分がつくってしまっているのかもしれない。「セックスとは射精をもって完了するもの」というわかりやすいゴール設定が無くなってしまえば、セックスの終わりは常にそうした不安に苛まれることになる。しかしよくよく考えてみれば、そうした不安に苛まれることこそが、他人とのコミュニケーションの本質なのではないだろうか。 一人でするマスターベーションとは異なるセックス特有の面白さがあるとすれば、不安の尽きることのない他人とのコミュニケーションそのものが目的となるような時間の中にこそあるのだろう。そうした時間を過ごせる相手とのセックスは勃とうが勃たまいが記憶に残る楽しいものになるし、いざ勃起して射精するときは射精するときで、本当もうめっちゃ気持ちいいです。
『ウレアカ?』プロジェクトとは
2023年6月より始動した吉本興業が運営する各種エンタメサービス「FANY」と講談社の美容メディア「VOCE」の共同プロジェクト。YouTube番組の配信や、彼らを応援するファンコミュニティサイトの運営を行っています。ウレアカライブを昨秋・今春の2回開催し、『ウレアカ? 』というブランドを軸に多角的な事業を展開予定です。 YouTube:https://www.youtube.com/@ure_aka(毎週・木曜日20時配信) ファンコミュニティ:https://www.ure-aka.com/(会員登録無料)
山下 素童