山口祥行【1】建設系の資格免許を多数取得した下積み時代、「東京ディズニーランドも六本木ヒルズも基礎は僕も造りました」
■当時の事務所社長から「不細工なのか二枚目なのかわからないから語学を身に着けろ」と言われアメリカ留学したけれど…
山口さんは、19歳の時にアメリカ・ニューヨークに語学留学することに。 「その時所属していた事務所の社長に『あんたは不細工なのか二枚目なのかわかんないから英語ぐらいしゃべれるようになりなさい。留学して学んできなさいよ』って言われて。『費用は補助してくれますか?』って聞いたら『自分で頑張んなよ』って言われたから、自分で働いてお金を貯めて行ったんです。 ギャラも良かった時代で、多少の蓄えもあったんだけど、アメリカに行ったらお金がなくなっちゃって。3年ぐらい行っているつもりだったのに、全然もたない。結局1年くらいでしたね」 ――それで一応英語はマスターされて 「いえ、全然ですね。生活はできるレベルというか、授業も受けられるレベルにはなりましたけど、帰ってきて使わないと、やっぱりダメですね。忘れちゃうのはすぐで、セリフと一緒です」 アメリカから帰国後、最初に出演したのが時代劇「鶴姫伝奇-興亡瀬戸内水軍-」(日本テレビ系)。このドラマは、戦国時代、三島水軍の総大将として勝利を収めつつもわずか18歳でその生涯を閉じた鶴姫(後藤久美子)の一生を描いたもの。山口さんは、鶴姫が将来を誓い合った矢先に殺害されてしまう越智鷹丸(石橋保)の弟・隼丸役を演じた。 ――とても初々しい感じでしたが、帰国されて最初に時代劇というのもすごいですね 「何かカルチャーショックみたいなのがありましたね。タイムスリップしたみたいで」 ――森繁久彌さん、若山富三郎さんなど大御所の俳優さんたちがいらっしゃいましたね 「すごかったです。ある時『挨拶の仕方がなってない』って若山さんに怒られたんですよ。それが千葉(真一)さんの耳にも入り、『ちゃんと挨拶するようにと教えただろう?』って千葉さんからも怒られて。いろんな洗礼を受けましたね」 ――その時にはもうこの業界でやっていこうという意識はあったのですか? 「まだなかったかな。10代の時はバイト感覚に近かったですね」 ――でも、10代で結構いろんな監督の作品に出演されていて、石井隆監督の映画「月下の蘭」もありましたね 「ありましたね。現場で寝ちゃって、『何で寝ちゃうんですか?』ってこれもまた怒られて(笑)。ダメですよね」