三菱財閥旧岩崎邸 文明開化に現れた洋風住宅は“強い女性”のメタファー
金唐革の世界観
日本を代表する大財閥の大邸宅・岩崎邸の竣工は明治29年(1896)である。 日清戦争のすぐあと、日本は産業革命が進み、三菱は躍進を続けて財閥としての地歩を固め、夏目漱石が『坊っちゃん』で有名な松山中学に赴任するころだ。 さすがに三菱財閥の三代目岩崎久弥の屋敷である。不忍池あたりから坂を登りまわるアプローチの砂利道は、かつてたくさんの人力車や馬車が駆け抜けたであろう。木造のコロニアル風だが、グリークカラムを配して、豪壮かつ瀟洒な構えだ。 内部はイギリス風の木の造作で、そこに日本風、イスラム風の意匠が混在して、コンドルらしい。ガラス張りのサンルームは増築であり、二階の庭側に大きく開かれたバルコニーが特徴的である。 筆者が強い印象を受けたのは、壁の仕上げの金唐革紙だ。 歴史家の田中優子が若いころ、『江戸の想像力』において、平賀源内がヨーロッパから伝わった金唐革を紙でつくろうとした顛末を書いているのを思い起こしたからである。 金唐革とは、ヨーロッパにおける革に浮き彫り模様をつけて金の装飾をほどこす技術で、その模様はパルメットなど古代地中海以来の伝統を継承している。江戸時代にはオランダから日本にもちこまれ、それが紙となり、日本の職人によってみごとな意匠と技術として成熟した。しかもそのデザインは、いわゆる「唐草模様」に近く、はるか昔、ギリシャやペルシャから、シルクロードをつうじて日本に入っている。 コンドルは、当時の英国で一般的だった伝統デザインとその技術を日本の職人が修得し、むしろ英国以上に成熟させていることに驚いたであろう。つまりこの極東の島国で、古代ギリシャ、近世オランダ、近代イギリスの文化が出会ったのだ。 このことは、コンドルの作風と岩崎邸が、単に西洋への憧れによってのみではなく、遥かユーラシアの時空をつらぬく、悠々たる世界観によっていることを表している。