【光る君へ 名場面&その後】倫子&彰子は長寿“我が家”摂関政治を継承「ゴッドマザー爆誕」ネット沸く
女優の吉高由里子(36)が主演を務めたNHK大河ドラマ「光る君へ」(日曜後8・00)は今月15日、15分拡大で最終回「物語の先に」(第48話)が放送され、完結。29日には「総集編」(後0・15~4・03)がオンエアされた。名場面を振り返る。 【写真】貫禄の表情にゾクっ…。最終回、藤原頼通(渡邊圭祐)は藤原彰子(見上愛・手前)の覚醒ぶりに… <※以下、ネタバレ有> 「ふたりっ子」「セカンドバージン」「大恋愛~僕を忘れる君と」などの名作を生み続ける“ラブストーリーの名手”大石静氏がオリジナル脚本を手掛けた大河ドラマ63作目。千年の時を超えるベストセラー「源氏物語」を紡いだ女流作家・紫式部の波乱の生涯を描く。大石氏は2006年「功名が辻」以来2回目の大河脚本。吉高は08年「篤姫」以来2回目の大河出演、初主演となった。 寛仁4年(1020年)、源倫子(黒木華)はまひろ(吉高由里子)と藤原道長(柄本佑)の“特別な絆”を知ったものの、夫に「(六女)嬉子のことですけれど、嬉子はもう裳着も終わっておりますゆえ、いつでも東宮様に奉れます。頼通(渡邊圭祐)にお話くださいませ」「次の帝も、我が家の孫ですけれど、その次の帝も、そのまた次の帝も、我が家からお出ししましょう」と語った。 道長が世を去り、長元元年(1028年)。 頼通「恐れながら、お上(後一条天皇)にいまだ皇子がおられませぬ。新たな女御をお立てになることをお考えくださいませ」 藤原彰子(見上愛)「ならぬ」「他家を外戚としてはならぬ。入内できる姫となれば、高貴な家の出である。もしその姫が、皇子を産めばどうなる。我が家を凌ぐ家が出てくるやもしれぬ。お上の后(威子)も、我らが妹。東宮の亡き后(嬉子)も、我が妹。東宮(敦良親王)には皇子(親仁親王)がおられる。それで十分なはず。お上、今まで2つであった皇統が、今は一条の帝の皇統のみとなっております。それを守り抜くことが、お上の御ためであり、頼通のためでもございます」 第13話(3月31日)、「政、それは家だ。家の存続だ」「栄光も誉れ死ぬが、家は生き続けるのだ。家のために為すこと、それがわしの政である」と語ったのは藤原兼家(段田安則)。倫子、そして、さらに逞しくなった彰子が道長の「摂関政治」を引き継いだ。 SNS上には「倫子様は最後の最後まで偉大なゴッドマザー」「彰子様、最終形態は道長のよう」「ゴッドマザーになっていて感慨深い」「完全に覚醒」「あんなに儚かった彰子様がゴッドマザーに」「兼家パパから始まった摂関政治への大いなる野望。道長の晩年に正しく倫子様が引き継ぎ、彼の死をもって正しく彰子様が引き継いだ」「道長の時代は鷹司系(倫子の子どもたち)の出世が目覚ましかったけれど、高松系(明子の子どもたち)の能信(道長の四男、演じたのは秋元龍太朗)の娘(養女)(茂子)が産んだ子ども(白河天皇)が摂関政治に幕を降ろし、院政へと向かうのは興味深い」などの声。反響を呼んだ。 史実としては、源倫子が薨去(こうきょ)したのは天喜元年(1053年)。長元4年(1031年)頃、土御門殿の西隣にあった鷹司殿に移り住んだ。長暦3年(1039年)に出家。90歳の長寿だった。 後一条天皇は長元9年(1036年)、後一条天皇は寛徳2年(1045年)に崩御。藤原彰子は2人の息子を先に失い、曾孫・白河天皇の代になった承保元年(1074年)に崩御。87歳の長寿。藤原頼通の薨去と同じ年だった。