『巨人V9』は古き良き時代の物語かもしれない。CSの悪弊を払拭して真剣勝負を甦らせてほしい!【堀内恒夫の悪太郎の遺言状】
シーズンよりも気合が入るシリーズで見せた本領発揮
筆者[背番号18]の投打にわたる活躍で巨人がV9を果たした1973年の日本シリーズ。今年の日本シリーズも当時のような「古き良き時代」のガチンコ勝負が繰り広げられることを期待したい
現役時代に俺は、日本シリーズが近づくと、いつも張り詰めた緊張感を覚えていた。いまの時代なら「スイッチが入る!」とでも表現したらいいのだろうか。 特に入団1年目の1966年から、8年連続リーグ優勝と、シリーズ制覇を達成している。だから本当に、俺は幸運に恵まれた野球人生を送ってきたと言える。 その中でも、特に73年に南海と戦ったシリーズが印象に残っている。 巨人は阪神との死闘の末に9年連続リーグ優勝を飾った。だが、そのシーズン、俺は絶不調に陥っていた。12勝17敗と負け越した挙句に、防御率は4.52と、それまでのプロ8年間では最悪の数字を残している。 その最も大きな理由は、前年の72年に26勝9敗、防御率2.91と、キャリアハイの好成績を挙げた反動が一気に押し寄せたこと。さらにリーグ最多となるシーズン312投球回を投げ抜いた疲労の蓄積が、次の年まで残っていたこと。不振に陥った理由はさまざまあっただろう。 しかし、シリーズへ突入すると、様相は一変する。このシリーズで、巨人の監督・川上哲治さんは俺のことをまったく当てにしていなかったからね。 南海の本拠地である大阪球場で行なわれた第1戦は、オープニング投手に指名された高橋一三さんが8回4失点と打ち込まれて、3対4で敗戦投手になった。第2戦の先発投手は、倉田誠さんだった。要するに信用をなくした俺は、このシリーズで先発ローテーションにすら入っていなかったということだよ。 ところが、倉田さんが2対1と1点リードの7回に無死満塁のピンチを迎えた。川上さんはベンチから重い腰を上げて、俺をリリーフに送った。マウンドへ上がった俺は代打のウィリー・スミスに左翼へ犠飛を打たれ、2対2の同点とされている。だが、次打者の桜井輝秀が放ったセンターへ抜けるかという当たりを好捕した俺は、1-4-3のダブルプレーを完成させた。 桜井を打ち取ることによって、完全にスイッチが入った俺は・・・
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週刊ベースボール