「強制捜査を延期できないか」ー平成事件史:戦後最大の総会屋事件(5) “ガサ”めぐって起きていた水面下のトラブル
通常、ガサ入れと同時に身柄逮捕まで踏み切るときは「相手が否認しても、起訴できるだけの証拠」を持っていることが求められる。そういう意味で、3月25日の段階では、野村証券幹部については、実際に呼び出して事情を聴かないとわからない部分もあり、身柄逮捕までは機が熟していなかったと見られるが、まず証拠物を早く押収しておく必要があったのだ。 「特捜の事件というのは、ある程度の期間、潜行して、ある時期に一気にふわっと浮き上がることに意味がある。ガサ入れ(強制捜査着手)をやるときには7割くらいは、証拠が固まっていて、見通しが立って次の事件が見えていないといけない。内偵捜査の中で、ほかの証券会社も小池への利益提供があるだろうと予測もついていたが、野村証券はSECが前年の夏からずっと調べていて、ある程度、立件の見通しも立っていたから、まず野村を最初にやった」(当時の特捜幹部) 検察幹部は「大蔵キャリア」からの「ガサ入れ延期」の申し入れを拒否し、野村証券への強制捜査にゴーサインを出した。 ただ、特捜部は当日の株式市場への影響も考慮し、午後3時の東証マーケットの取引終了を待った。そして「SEC」と特捜部が「合同」で180人を動員し、隊列を組んだ部隊がようやく東京・日本橋の野村証券本社の強制捜査に着手し、家宅捜索に踏み込んだ。捜索が始まったのは午後4時23分、空は夕暮れを迎えようとしていた。 家宅捜索は深夜まで及んだ。そして野村証券はその後、さらに幹部の逮捕や再逮捕により数回にわたって家宅捜索を受けることになる。 現場の野村証券本社ビルにいた西川記者(TBS)はこう思った。 「現場で待機していたが、夕方にさしかかり、その日に強制捜査が行われるかどうか、正直なところ半信半疑だった。すると間もなく報道陣が集まり始め、これまで見たことのない人数の捜査員が怒涛のように押し寄せ、一斉に野村証券の正面玄関から入っていった。それまでマスコミでは『大蔵省』や『野村証券』などは聖域とされ、捜査のメスが入ることはないと言われていた。その常識が目の前で一気に崩れ去った瞬間だった」