「強制捜査を延期できないか」ー平成事件史:戦後最大の総会屋事件(5) “ガサ”めぐって起きていた水面下のトラブル
「SECでは強制捜査着手を予定していた当日、水原委員長が「委員会」を開催した。委員会は東京地検と合同で強制捜査を行うことを了承した。委員会が了承しないとガサ入れはできないため、了承を受けて、特別調査官に東京・日本橋の野村証券本社ビルへ向かってもらった。しかし、SECの事務局幹部の大蔵キャリアが、急な話に驚き、なかなか委員会に出てこなかった」 もちろん、大蔵キャリアには直前まで強制捜査のタイミングは知らされていなかった。 「東京地検特捜部と証券取引等監視委員会の合同の強制捜査着手ということで、情報が漏れるのをおそれ、「捜索差押許可状」の請求手続きは、SECで本当に信頼できる数名の部下だけに事情を説明し、準備してもらっていた」(粂原) 当日の朝、検察幹部に「ガサ入れ(強制捜査)の延期」を申し入れをしてきたのは大蔵省から「SEC」に出向していた「大蔵キャリア」だった。当時、「SEC」はまだ大蔵省内の組織(のちに金融庁に所属)ではあったが、この「大蔵キャリア」はわざと、当日の委員会に出席せず、その間に、検察幹部に「ガサ入れの延期」を「陳情」していたのだ。 「大蔵キャリアは自分の『本籍地・大蔵省』に気を遣い、行政的に配慮したというアリバイを残すためだったと思う。水原さんにも知らせずに検察に申し入れていた」(関係者) 水原も大蔵キャリアの態度に憤慨した。 「水原さんはSEC幹部の大蔵キャリアが当日の委員会に出てこなかったことに相当、怒っていた。大蔵キャリアは親元に気を遣ったのだろう」(粂原) 熊﨑も家宅捜索(ガサ入れ)に早く着手したいと考えていた。熊﨑はこれまで「家宅捜索」と「身柄逮捕」を同時に着手する捜査スタイルをとってきたが、今回はガサ入れを先行させた。その理由をこう話していた。 「端緒をつかんだSECとの合同捜査ということもあるが、事件の特徴として、株式取引に関わる専門的で複雑な要素が絡んでいたため、なるべく早い時期に、幅広く証拠をおさえておく必要があった」