「今年は秋に蚊が張り切ってやってきた!? “プーン”がないと寂しく感じる夜」稲垣えみ子
元朝日新聞記者でアフロヘアーがトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。 【写真】カフェの常連の友達からもらった柿はこちら * * * 数年前から夏に蚊に悩まされることがなくなり今年も存在すら忘れきっていたんだが、ようやく涼しさを感じ始めた10月の夜に機嫌よく本を読んでいると手足が超痒い。耳を澄ませばプーンという懐かしい音。ハッとして確認すると、小さな赤いポツポツが多数。えらく刺されとるやないかい! 蚊も夏バテから解放され、やっと動けると張り切って血を吸いまくっているのか。鬱陶しいことこの上ないが殺生はなるべくせぬ主義なので、現行犯を目撃したら手で払いのけるのみ。そのうち寝てしまうので何はともあれ一件落着である。 だがこの状態は思いのほか長く続いた。来る日も来る日も、夜の快適な読書タイムが来た途端、プーンという嬉しげな音。追っ払ってはまた来る攻防戦が終わらない。そうこうするうち、私はハッと気づいたのだ。奴は1匹である。同じ個体である。なぜって音が同じ。数十回目撃した姿も同じ。いやいや蚊なんてどれも同じでしょと思われるかも知れないが、そうじゃない。これは真剣に「あるもの」と向き合い続けた人間にしかわからないことである。 そうと気づいた途端、私が何をやったかといえば、蚊の寿命をネットで調べたのだ。成虫で1、2カ月。長いのか短いのかよくわからないが、いずれにしても奴との攻防は永遠では無いとわかって少しホッとする。 だがそうなってくると、夜帰宅して食事やら片付けやらを終え、さあ読書タイムって時にヤツの音が聞こえてこないと、どうも気になる。何しろ奴と会えるのは今しばらくしかないのだ。久しぶりに飲みに出かけた時はふと、ヤツは家で私のことを待ってるんだろうナと思えてきて少し切なくなる。そのことを隣席の常連客に言うと、そりゃ名前をつけたほうがいいと言われ、彼女の提案で「デルピエロ」と決定。以後、この飲み屋に行くとマスターが「デルピエロ元気?」と聞くのであった。 今はもうデルピエロはいない。寒さのせいか。天寿をまっとうしたのか。安眠できて嬉しいが、やや寂しい。 いながき・えみこ◆1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。著書に『アフロ記者』『一人飲みで生きていく』『老後とピアノ』『家事か地獄か』など。最新刊は『シン・ファイヤー』。 ※AERA 2024年11月18日号
稲垣えみ子