【朝ドラ『虎に翼』】戦中の出版統制から始まる「横浜事件」とは? 出版関係者ら60人が検挙された最悪の冤罪事件
NHK朝の連続テレビ小説『虎に翼』で主人公・猪爪寅子(演:伊藤沙莉)が勤める雲野法律事務所。所長の雲野六郎(演:塚地武雅)が携わっていると考えられる事件は、戦時中の言論弾圧や特高による人権を無視した捜査によって数十人が被害に遭った一大事件だった。今日はその顛末をご紹介する。 ■戦時下でも弁護士の闘いは続く 昭和16年(1941)12月19日、「言論、出版、集会、結社等臨時取締法」が公布された。その名の通り、言論、出版、集会、結社等の自由の制限とその取締について規定していた法律である。 太平洋戦争開戦までは、いずれも治安維持法に触れる過激なものでなければある程度自由が認められていた。ところがこの法律により、結社・集会はもちろん、新聞などの出版物の許可制の導入、発行停止処分、造言飛語の制限などが定められた。 寅子が勤める雲野法律事務所の所長・雲野六郎もまた、そうした事件をいくつも請け負っている様子がみてとれる。多忙そうにしている案件のモデルと考えられるのが、編集者・新聞記者ら数十人が治安維持法の容疑で逮捕された「横浜事件」だ。 弁護にあたって彼が目を通していた「世界史の動向と日本」という記事が一瞬映ったのにお気づきになった方もいたかもしれない。史実では、雲野のモデルである海野晋吉がこの事件の弁護に関わっている。 一連の事件の始まりは、昭和17年(1942)年9月、細川嘉六の論文「世界史の動向と日本」が共産主義宣伝であると糾弾され、細川が治安維持法違反の疑いで検挙された。また、掲載した雑誌『改造』が発禁となった。この時はこれで終わったが、その後事態は最悪の方向に向かう。 神奈川県警察部特高課は、アメリカ合衆国で労働運動を研究した川田寿とその妻に対して「アメリカ共産党の指令を持ち帰った」などという容疑をでっち上げて検挙。その後関係者に捜査の手を広げ、世界経済調査会の髙橋善雄や、南満州鉄道東京支社調査室の職員らを次々と検挙していった。 そして昭和18年(1943)5月、関係者の1人の家宅捜索で細川のほか『改造』や『中央公論』の編集者、満鉄調査室関係者などの集合写真を発見する。これは細川が親しい編集者・研究者らを集めて1泊2日の懇親会を開いた際のただの記念写真だったが、警察は「日本共産党を再建するための決起会だろう」と決めつける。 この写真を契機に、改造社や中央公論社のみならず、他の新聞社や出版社の関係者約60人を治安維持法違反の容疑で逮捕。被疑者に暴力を振るい、拷問によって虚偽の自白を強要したという。細川はまた別件の論文事件によって起訴され、公判の途中だったが、この事件の関係者として横浜刑務所に身柄を移されている。 戦況が悪化するなか被疑者たちへの厳しい取り調べは続き、4人が獄死した。判決が下ったのは終戦直後の昭和20年(1945)8月下旬~9月にかけての駆け込み言い渡しで、約30人に対して執行猶予付きの有罪判決が下されている。 当時の公判記録はGHQによる戦争犯罪追訴を恐れた政府関係者によって証拠隠滅のため焼却された。その後元被告らは「笹下会」を結成し、当時の特高警察官28人を告訴、うち3人の有罪・実刑が確定したが、大赦令によって釈放され、結果として裁判官・検察官を含め誰も処分されなかった。 拷問等により4人が獄死、保釈直後に1人が死亡、負傷者30人を出した横浜事件はこうして幕を閉じるのである。作中では雲野自身がこの裁判で法廷に立つシーンはないが、戦中~戦後にかけた一大事件に関わっていることが示唆されるさりげない「史実ネタ」だった。
歴史人編集部