競馬に投影 もう一つの人生 夢乗せ駆けたハイセイコー 書く書く鹿じか
詩人、歌人で前衛演劇グループ「天井桟敷」を主宰した寺山修司さんは、競馬の名言を数多く残した。 <競馬ファンは馬券を買わない。財布の底をはたいて「自分」を買っているのである。しかし、どの馬が、自分の「もう一つの人生」を見事に勝ちぬいてくれるかを知ることはむずかしい。>(「馬敗れて草原あり」から) 競馬のグランプリ、有馬記念が今度の日曜に行われる。ファン投票で出走馬が決まり、「あなたの、そして私の夢が走っています」という関西テレビの杉本清アナウンサーの名調子が耳に残る。普段は馬券を買わないのに、このレースだけはという人は少なくない。 前回、「昭和を見つめ直したい」と書いて、真っ先に思い浮かんだのがハイセイコーである。昭和47(1972)年に地方競馬の大井競馬場でデビューして連勝街道を突っ走り、翌年、中央競馬に移籍した。戦後の高度経済成長が1970大阪万博で一段落し、浮かれた「昭和元禄」が去って、時代は新しいヒーローを求めていた。「地方の怪物」はぴったりはまった。 時の首相は田中角栄である。新潟の農家に生まれ、高等小学校を出ただけだったが、「コンピューター付きブルドーザー」と呼ばれた頭の回転の速さと持ち前の馬力でのし上がり「今太閤」と称された。 ハイセイコーも中央のエリート馬を蹴散らし、クラシック1冠の皐月賞を制した。無敗で迎えた日本ダービーは圧倒的な一番人気で、単勝馬券の売り上げが66・6%に達した。日本中が空前の競馬ブームに沸き、アイドルホースは社会現象になった。 寺山さんは「ふりむくと…」(のちに「さらばハイセイコー」と改題)という詩を書いている。 <ふりむくと/一人の少年工が立っている/彼はハイセイコーが勝つたび/うれしくて/カレーライスを三杯も食べた> 馬券の配当で病気の妻に手鏡を買った失業者。テレビでハイセイコーを見て走ることの美しさを知った車椅子の少女。母親をハワイに連れていってやると約束して果たせなかった運転手。ハイセイコーの写真を撮るために初めての給料でカメラを買った出前持ち…。オムニバス形式でハイセイコーにまつわるさまざまな人生ドラマが描かれる。 この詩を読むたびに、ささやかな幸せを追い求めた、あの時代がよみがえる。その夢をハイセイコーが見させてくれた。