まさに英雄! 海外クラブを救った伝説の日本人選手(3)本田圭佑の10番を継承! 高校サッカーのスターだった天才MF
優勝や昇格、残留…。クラブにとって重要な局面で結果を残す選手は、自ずとサポーターの記憶に深く刻まれるものだ。それが欧州に渡った日本人選手であるならば誇らしいことこの上ない。今回は、海外クラブを救い、英雄的存在となった伝説の歴代日本人選手をピックアップして紹介する。※成績は『transfermarkt』を参照
MF:カレン・ロバート(かれん・ろばーと) 生年月日:1985年6月7日 救ったクラブ:VVVフェンロー(オランダ) 通算成績:76試合9得点3アシスト 高校サッカーの名門、市立船橋高校で活躍したカレン・ロバートは2004年にジュビロ磐田でプロキャリアをスタート。翌2005シーズンにはJ1リーグで13得点をあげ、新人王にも輝いた。しかし、これ以降は目立った成績を残せず、2010年夏にロアッソ熊本へ移籍。そのわずか半年後の2011年冬にVVVフェンローに渡っている。 吉田麻也も所属していたフェンローは17位で2010/11シーズンの前半戦をフィニッシュ。カレンは加入後すぐに主力の座を掴んだが、その後もチームの調子が上向くことはなく、17位のままレギュラーシーズンを終え昇格・降格プレーオフに回ることとなった。しかし、その舞台でカレンはクラブの補強が間違いではなかったことを自らの力で証明してみせた。 昇格・降格プレーオフ2回戦の1stレグ、フォレンダム戦で、カレンは貴重な先制ゴールを奪い2-1の勝利に貢献。続く2ndレグでもこぼれ球を右足で押し込んで先制ゴールを奪い、2-0の勝利の立役者となった。プレーオフ決勝、ズヴォレ戦では1st、2ndレグともにゴールがなかったものの、両試合でフル出場を果たしており、見事チームを残留に導いている。この活躍が評価されてか、翌シーズンにカレンはかつて本田圭佑も背負った10番を託されることになった。 また、2012年には北アイルランド出身の父を持つカレンを当時の北アイルランド代表監督であるマイケル・オニールがチームに招集することを検討していると『BBC』などが報じていた。結局これは実現せず、キャリアの中で日本代表にも縁がなかったが、プレーオフ含め、フェンロー1年目における活躍で周囲のカレンに対する評価が高まったのは事実だろう。
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