宮本武蔵にまつわる話 美作市文化財講座 地域の歴史を市民らに/岡山・美作市
美作市文化財講座「ちょっぴり新しい宮本武蔵―関連史料の再検討から考えるー」が24日、岡山県美作市古町の大原公民館大ホールで開かれ、地域住民ら約50人が、地元にゆかりのある歴史上の剣豪にまつわる話に耳を傾けた。
地域の歴史や文化を市民らに知ってもらおうと、2017年から続く講座。今回は戦国時代を中心とした県内の歴史研究に取り組む岡山地方史研究会員、地域史研究者・森俊弘さんが講師を務め、宮本武蔵の出生地にまつわるさまざまな論説について実際に残っている史料を読み解きながら見解を示した。
宮本武蔵の出生地は江戸後期成立の地誌「東作誌」を典拠に美作国吉野郡下庄村宮本(現美作市宮本)にあたるとする美作説のほかに、武蔵の養子で小倉藩小笠原家家老・伊織貞光の子孫が所蔵していた「宮本家系図」などから播磨国加古郡米田村(現兵庫県高砂市米田町)とする説、1762(宝歴12)年に執筆されたと見られる地誌「播磨鑑」で書かれた一文から播磨国揖東郡宮本村(現兵庫県揖保郡太子町宮本)とする説がある。
森さんは武蔵の父親の新免無二の存在に着目。「羽柴秀吉書状」「吉野郡宮本村古事帳」「二天一流兵法書」などを参考に1588(天正16)年までは作州吉野郡の竹山城主・新免宗貫に家中として仕えていたと見られ、「家族が無二に付き添っていた場合、天正12年に生まれたとみられる武蔵は美作国で誕生した可能性が高い」と強調。その上で「武蔵が播磨国を生国と自認している史料があるのも事実。今後新たな史料が発見される可能性もあり、米田、太子町とより良い関係を築きながら研究や顕彰が進むことを願いたい」と語った。
美作市真加部の森上昭子さん(76)は「気になっていた話題で実際の研究について知ることができてよかった。武蔵は地域の誇りで生誕地であってほしいと願う一方で、兵庫県の2町とも仲良くできたらとも思っている」と話していた。
津山朝日新聞社