日本人最年長金メダリスト杉浦佳子さん 快挙までの裏側「パラの選手は…」心ない声が耳に入ったことも
その後は厳しい練習と、事前にコースの景色や道路標識を頭にたたき込むといった準備が実を結び、次々と世界大会での優勝を飾り、パラ界で「ロードの新星」として注目されていく。事故から約1年半後の’17年には初出場のUCIパラサイクリングロード世界選手権で優勝し、翌年には2連覇と同時に、日本人として初めて最優秀選手に与えられる「パラサイクリング賞」を受賞。 自転車競技の世界選手権優勝者には、胸に虹色のラインが入ったジャージ“アルカンシエル”が与えられるが、その栄誉を受けての帰国時のこと。 「選手仲間やスタッフから、『アルカンシエルを取っての凱旋なんだから、きっと空港にマスコミが殺到してるよ。お化粧は念入りにね』などと言われ、私もその気になって(笑)、メークもバッチリで成田に着くと、空港はシーンとしていて……。 そのうち、『やっぱり、パラの選手は若くてかわいくないと取材も来ないね』という周囲の声が耳に入ったりして、もっと自分が頑張ってパラサイクリングを知ってもらいたいという気持ちが強くなりました」 ’21年の東京パラリンピックでは4種目に出場して、ロードレースとタイムトライアルの2種目で金メダル。「最年少記録は二度と作れませんが、最年長記録だったらまた作れますよね」という名言も飛び出した。そして、今年7月にパリ・パラリンピックの代表に内定する。 「大会前、『金メダルを取らなければ即引退』と言いました。そうすることでパラサイクリングへの注目度も高まるし、もし金メダルが取れれば、私だけでなく、若い選手たちにとっても練習や遠征などのサポート環境が整うことにつながると思ったからです。 でも内心では、年齢からくる体力面の不安に押しつぶされそうでした」 その不安に打ち勝つための唯一の方法が、とにかくトレーニングをすること。今回も、大会直前まで岐阜県の標高1千200mの山奥で過酷な高地トレーニングで自らを追い込んだ。 「私は一番を取っても、『次のレースはライバルがもっと強くなっているに違いない』と考え込んでしまうタイプ。素の自分は鈍くて、暗くて、超ネガティブ。だから何をやるにも最初はダメで、人の何倍も時間をかけてやることになるんです。 不安を解消するには練習を重ねて、レースのシミュレーションを徹底的にするしかないんです。その結果、できたときの達成感も、ほかの人より大きく感じられるのかも」 地道な鍛練の積み重ねの結果が、合計3つのパラリンピック金メダル、そして日本選手最年長記録という前人未到の栄冠だった。頂点に立った今もなお、右腕には力が入りにくく、服薬や通院に加えて、記憶力を取り戻すための日々の努力も続いている。 「英単語を覚えることは、事故以来ずっと続けています。でも、そのおかげで脳のリハビリだけでなく、海外遠征のホテルフロントでの簡単な英会話くらいはできるようになったんですよ!」