日本人最年長金メダリスト杉浦佳子さん 快挙までの裏側「パラの選手は…」心ない声が耳に入ったことも
【前編】パラリンピック日本人最年長金メダリスト杉浦佳子さん 自転車事故による認知障害で記憶失っても「残っていた感情」から続く 【写真あり】「ネガティブな人間」と自信を表するが、レースで見せる表情はポジティブ全開 「ここだ!」 コーチらと何度もシミュレーションしていたとおり、勝負どころの坂道で後続の選手を引き離すと、ラストスパートで力強くペダルを踏み込んだ。 「私なら、行ける──」 渡仏直前まで取り組んでいた、過酷な高地トレーニングで流した汗がよみがえる。あとは、まさに風と一体となってデッドヒートを制し、先頭でゴールを走り抜けた。 今夏、パリで開催されたパラリンピックの自転車競技女子個人ロードレース。運動機能障害のクラスで、杉浦佳子選手(53・総合メディカル)が、2大会連続金メダルに輝いた瞬間だった。 19歳で長男を産んだ自称「ヤンママ」だった彼女は、薬剤師として働きながら、40代でロードレース競技の道へ。しかし、わずか2度目のレースで落車事故を起こし、高次脳機能障害と右半身まひが残ってしまう。 その後、競技に戻るまでには、死をも考えてしまう壮絶な闘病の日々があったが、その先に最高の復帰ステージが用意されていた。 復帰のきっかけは、2016年のこと。 「パラサイクリングに興味はないですか?」 生死をさまよう自転車事故から半年が過ぎたころ、自転車競技で活躍していた長男が所属する団体の社長からこう声をかけられ、杉浦さんは競技復帰を決意する。 UCI(国際自転車競技連合)の判定を受けると、障害の程度は5段階中3番目の「C-3」という結果に(C-1がもっとも重度)。 「自分の障害は軽いほうだと思っていたのでショックもありましたが、実際に大会を見学に行くと、私と同じような障害のある方たちが本当にハイレベルな走りをしていて、自分もやってみたいと思いました」 いざ練習が始まるが、過去の記憶をなくしているため、自転車の乗り方そのものからの再スタートとなった。 「ブレーキのかけ方、コーナーの曲がり方、ギアチェンジなどの基礎から始めました。ただただ申し訳なく思うばかりでしたが、コーチの『どんどん迷惑をかけてくれよ』という言葉にとても救われましたね」 やがて、パラサイクリング独自のルールで、右手の握力が弱くても支障のない工夫を自転車に施すなどして、レースに復帰。そして’17年5月にワールドカップに初出場して、3位に。 「ここで、次はトップに、と闘志に火がついたんです。コーチとも相談して、東京パラリンピック出場も目標となっていきました」