有名なトロッコ問題の判断にじつは「遺伝子」が関係していた?…「道徳的判断」は遺伝するのか
“道徳の遺伝子”
道徳的な正しさとは何か、という問題は古くから膨大な議論が戦わされてきた。例えば、功利主義、カント主義、義務論、社会契約論を始め、無数の考え方がある。哲学者ジェームズ・レイチェルズは、こうした様々な立場を整理し、宗教的な理由を排除したうえで、「人々が可能な限り幸福である」とともに、「日々の生活をよりよくし、すべての人の利益が同じである」ための、人間関係の原則が道徳の規準であるとしている。 ローレンス・コールバーグは、人間の道徳判断は、社会的経験を経て、必要な価値観や知識を身に付け、段階的に発達すると考えた。しかし実際の道徳的判断はほとんど直観で行われ、むしろほかの認知的判断より高速で行われる。これは危険回避のための協調行動や、不正を行った個体に対する報復行動などと関係した、進化的な適応の可能性を示唆している。そこでジョナサン・ハイトは、人間が持つ他者との競争に勝ち抜く利己的な性質と、利他主義や集団主義、相互扶助の性質が、ともに生物進化のプロセスの産物であると指摘し、道徳的判断が進化による遺伝的背景を持つとした。 これに対し、ロバート・ボイドは、道徳的判断の文化的な要因を重視した。文化的要素の学習、伝達により、協力関係が文化のレベルでも自然選択と類似したプロセスで発達すると考えたのである。文化レベルでも生物進化と似た変化が起き、それと遺伝子レベルの進化の相互作用で複雑な利他行動が社会に定着するというモデルである。 進化心理学では、人間が示す様々なタイプの利他行動が、どのような仕組みで進化してきたかが研究されてきた。その背景にあるのは、人間の感情的反応や行動の選択は、戦略的利益、つまり生存と繁殖に有利な性質だったかどうかの結果、という解釈である。価値観に関わる人間の属性も、脳のハードウェアが関係しており、部分的には遺伝的な支配を受けていることが指摘されている。 現在では膨大なゲノム情報を利用して様々な人間の特徴や性質、疾患などの遺伝的基盤が推定されている。主に使われている方法は、一塩基多型(SNP)から、こうした性質と関係した遺伝子を統計学的に調べる方法──ゲノムワイド関連分析(GWAS)である。この手法が普及して以来、様々な疾患や身体的特徴に対し、どんな遺伝子が関わっているか幅広く推定されるようになった。精神活動や心理的な性質もその解析対象となっている。 例えば、現生人類、ネアンデルタール人、チンパンジーのゲノム分析から、自己認識、向社会的行動、創造性などに関係する、現生人類に特異的な遺伝子群が推定され、現生人類では、これらの遺伝子に有利な自然選択が働いてきたと考えられている。道徳的な資質も例外ではない。 「正直」や「嘘をつく」には、前頭前野の神経機構が関わっていることが知られている。各神経系は特徴的な神経伝達物質のセットに依存しており、それらの物質を産生、または調節する遺伝子は、道徳的判断に影響を与える可能性がある。実際の道徳的行動は、価値観、動機づけ、社会的認知、認知制御などを調節する多数の神経系によって媒介されるが、これらはドーパミン、セロトニン、オキシトシン、アルギニン―バソプレシンの受容体などを支配する、幅広い神経調節機能を持つ遺伝子に依存しているという。 高度な道徳的判断の例として、功利主義と義務論の道徳的なジレンマを伴うトロッコ問題を考えてみよう。トロッコが線路上を暴走している。このままだと線路上にいる5名の作業員全員に衝突する。この5名を助けるためには、レバーを引きトロッコの進路を変えればよいが、そうするとそちらの線路上にいる一人の作業員に衝突する。レバーを引いてトロッコの進路を変えるべきかどうか、という問題である。さらに強いジレンマを伴う例として、この5名を救うため、線路にかかる歩道橋の上にいる一人の人物を線路上に突き落としてトロッコを止めるべきかどうかという問題もある。 実はこの道徳的判断に、オキシトシン受容体遺伝子(OXTR)の多型が関与すると指摘した研究がある。この研究によれば、一人を犠牲にしてトロッコを止めるかどうか、つまり功利主義的に最大多数の最大幸福を採用するか、それとも結果にかかわらず、人に危害を加えたり、反道徳的な行いをしてはならないという義務論的立場をとるか、その判断に単一の遺伝子多型が影響を与えている可能性があるのだという。 また、OXTRの変異は共感性とも関係することが知られている。道徳性と共感の関係は複雑で未知の点が多いが、共感性に関与する脳部位を損傷すると、前記の問題で功利主義的な立場をとる傾向が強まるという。 しかし文化と教育で創り出された社会に備わる規範の役割は依然として大きい。普遍的な要素もあるとはいえ、道徳的行動と考えるものは、文化によっても、また時代によっても異なっている。また、状況依存的でもある。定義も難しい。生物学者と法学者、哲学者では道徳の概念が異なる。複雑な関係の過度な単純化により、みかけの相関を誤って解釈したり、説明できる部分だけの説明を過大評価している可能性もある。 従ってこうした単純な遺伝的支配の主張には、注意が必要である。とはいえ進化学者たちは遺伝学や神経科学の研究から、道徳的行動に進化の産物が含まれる可能性が無視できない、と考えるようになりつつある。 では逆に、反道徳的行動、反社会的行動についてはどうだろう。 暴力的な事件を犯すリスクの高い遺伝子として、脳内のドーパミンとセロトニン量の制御に関係するMAOA遺伝子と、神経結合に関与するカドヘリン13遺伝子の変異体などが報告されている。MAOA遺伝子は、神経伝達物質のセロトニン分解に不可欠なモノアミン酸化酵素Aという酵素をコードしている。MAOA遺伝子に突然変異が生じて機能が欠損したり、酵素活性が低下すると、攻撃的な行動をとる傾向が強くなるとされる。マウスを使った実験で、MAOA遺伝子をノックアウトするとやはり、攻撃性が上がるという結果が得られている。 この遺伝子の変異と攻撃性の原因は、社会的評価や感情調節に重要な脳部位における過剰なセロトニンの影響と考えられているが、その根源的な分子、神経機構はまだ未解明である。特に重要な点は、成育環境の影響が非常に大きい点である。この遺伝子と犯罪の関係は複雑であり、幼少時のストレスや虐待という不利な経験がなければ、犯罪に及ぶリスクは著しく下がるとされている。そのためこの関係を調べた論文では、それが遺伝的な効果なのか、それとも環境からの刺激に起因するのか、という意味で、「生まれか育ちか」という言葉が往々にして登場する。 環境との相互作用の仕組みは未解明だが、いずれにせよ、道徳的行動のみならず反社会的行動に対しても、遺伝的な要因を想定するケースが増えつつある。 かくして現代の私たちは、「善」「悪」「倫理」「犯罪」「道徳」という価値観を、遺伝的変異、つまり盲目的な進化の結果として説明するツールを手に入れてしまったわけだが、これは私たちにとって果たして福音なのか、新たな呪いなのか、それとも何か別の魔物を呼び寄せることになるのだろうか。 いや、話はそんなに単純ではない。だから心配は早計という見方もある。こうした単純な性質と遺伝子の関係が成り立つことはめったにない。たいていの場合、一つの性質に多数の遺伝子が関わっている。性質と遺伝子の関係は非常に複雑で、ゲノムの広範なネットワークが関与する場合もある。ある遺伝子が発現する性質は、どんな遺伝子と組み合わさるかで変わるし、同じ遺伝子が異なる性質に影響する多面発現の効果もある。また環境の影響を受けて可逆的に作用するエピジェネティックな機構もある。従って、どの遺伝子がどの性質、どの精神活動に関与しているか、という単純な理解では不十分なのである。 にもかかわらず、急速に蓄積した膨大なゲノムデータを利用して、個人の様々な性格、適性、価値観などを推定したり、判断するようになってきた。米国や英国では消費者が企業から提供された自身のゲノム情報を使い、データベースにアクセスして発病リスク、家系、健康状態を分析できる。また1000以上確認されている、認知能力に関わる遺伝子データを利用し、教育分野に進出している企業もある。米国では、雇用や昇進、解雇の目的でゲノム情報を使用することを法律で禁止しているが、社会的な利用は急速に広がりつつある。 ここではその是非には触れない。ただ、往々にして歴史は繰り返し、過去は蘇る、という点だけ伝えておきたい。いや、最先端のゲノム科学で見たこともない新世界が切り開かれつつあるというのに何を、と思うかもしれない。だが技術が更新されても、中身は意外に変わらぬものである。 たとえば、ここで紹介したような、性質と遺伝子の関係を推定するゲノムワイド関連分析の中核的な役割を担っている手法は、古典的な統計学である。データベースの膨大なDNA塩基配列情報を高速の計算機で処理するという革新性の一方で、知りたい関係を検出する手段の中心は、相関、回帰分析を始め、検定、有意水準や有意差、多変量解析(主成分分析など)の概念と手法である。そこで想定されている遺伝子型と表現型の関係も、実はかなり昔の進化学的に由緒ある理論を基礎としているのだ。 * 連載記事〈多くの人に誤解されているダーウィンが言った「進化」の本当の意味…「進化」という語を最初に使ったのはダーウィンではなかった「驚きの事実」〉では、ダーウィンが言う「進化」の意味について、くわしくみていく。 * (※)エピジェネティック......「変異」が DNA の塩基配列の変化なしに起こる、非遺伝的という意味。DNA のメチル化やヒストン修飾などによって遺伝子のオン・ オフが制御される
千葉 聡(東北大学教授)