「徳川四天王」を先祖に持つ「超エリート将軍」は、なぜ東條英機打倒に奔走したか
軍人としての後半生は東條英機との戦いだった
陸軍きっての「超エリート」としてその名を知られながら、志なかばにして予備役に。軍人としての後半生はほぼ東條英機との戦いだったようにも思えるが、本書の著者である大木氏は、酒井の戦いの意味を以下のように総括している。 「かくのごとく、酒井鎬次の生涯は、持たざる国が総力戦を実行し、そのための戦争指導態勢をととのえることの困難を象徴していたといえる。当然のことながら、酒井の認識とそれにもとづく努力は、国力の限界や社会的・制度的制約に阻まれて(彼にしてみれば、東條英機はそうした矛盾を体現しているかのように思われたことだろう)、実現をみなかった。結局、酒井も、東條内閣打倒により、旧態依然たる戦略策定態勢にストップをかけることしかできず、日本は有効な戦争指導を欠いたまま、敗戦に向かってひた走ることになったのである」(P149より) 優秀な「超エリート」を活用できない組織と、その組織を変えるには至らない「超エリート」。そのまま21世紀の日本にも当てはまりそうな関係性ではないだろうか。 ※本記事は、『決断の太平洋戦史 「指揮統帥文化」からみた軍人たち』第9章をもとに再構成したものです。
新潮社