大阪のヒツジ年へタイムスリップ ── あの時あなたは何をしてましたか?
2015年(平成27)のエトはヒツジ(未)。ヒツジの性格同様に、おだやかで平和な1年になるという見方の一方で、ヒツジの群れのように、ときに紛争や混乱が起きやすいという指摘もある。過去のヒツジ年には、どんなことが起きていたのか。大阪を中心に関西の出来事を知る旅へ、タイムスリップ──。
2003年(平成15)・星野阪神が18年ぶりにセ・リーグ優勝
ヒツジならぬ虎の当たり年だった。2季目の星野仙一監督率いる阪神タイガースが、18年ぶりにセ・リーグで優勝した。開幕から快進撃を続け、87勝51敗2分、勝率.630という圧勝だった。7月には2位の中日に、17.5ゲームの大差を付けていたのだから、長らくダメトラぶりに耐え忍んできたタイガースファンにはたまらない。 若きエース井川が速球真っ向勝負で20勝5敗。伊良部、下柳、ムーアの3投手が10勝ラインを超えるなど、先発陣が抜群の安定感を誇った。攻撃では赤星、金本、今岡、アリアス、矢野などが、切れ目のない打線を形成して打ち勝った。 日本シリーズでは王監督率いるダイエーと対決。3勝4敗で日本一を逃したものの、虎党は久々の日本シリーズに酔いしれた。一方で、猛虎の独走を許したドラゴンズの山田久志、ジャイアンツの原辰徳両監督が相次いで詰め腹を切らされた。 1月の大阪国際女子マラソンで、野口みずき選手が2時間21分18秒で優勝を飾った。9月25日、上方漫才界の重鎮夢路いとしさんが亡くなった。
1991年(平成3)・湾岸戦争で始まりソ連解体で終わった激動の1年
1月17日、多国籍軍がイラクを攻撃し、湾岸戦争に突入。大阪の経済界からは世界経済の混乱長期化を懸念する声が高まった。多国籍軍の圧倒的優位で推移した2月28日、ブッシュ米大統領が攻撃中止を表明。イラクも国連決議を受託し、6週間続いた戦闘が終結した。 大阪国際マラソン大会が1月27日開かれ、有森裕子選手が日本人最高の2位でゴール。一流選手の仲間入りをし、92年バルセロナ五輪銀メダル、96年アトランタ五輪銀メダルという2大会連続メダル奪取の快挙につながる布石となった。 4月の大阪府知事選で前副知事の中川和雄氏が勝利し、知事就任。12月の大阪市長選で、現職の西尾正也候補が再選される。8月の全国高校野球選手権大会で、大阪代表の大阪桐蔭高校が初出場初優勝の快挙を成し遂げた。12月、WBAライトフライ級タイトルマッチで大阪のジムに所属する井岡弘樹選手が勝利し、2階級制覇を達成した。 同月ソ連が消滅し、ロシアの他、複数の共和国に分裂した。大阪でもソ連と取引のある商社では情報収集に追われるなど、衝撃的な年末となった。