コロナ集団感染で夏の甲子園史上初の不戦敗から3年後、大学で成長し再び全国の舞台へ
2021年夏、春夏連続の甲子園出場を決めた宮崎商は、選手など10人以上が新型コロナウイルスに感染したとして、大会初戦の2日前に出場辞退を申し入れた。初戦の智弁和歌山戦は大会史上初の不戦敗に。甲子園自体が中止となった第102回大会の翌年、依然続くコロナ禍で悲劇は起きた。あれから3年――。宮崎商の当時のエースと主砲が、全日本大学野球選手権の舞台に、同じ日に立った。 【写真】不戦敗時のエースもこの日、他の試合で登板。早大打線を2回無安打に抑えた
当時のエースと主砲、同じ日に神宮に
6月13日。準優勝した2022年以来の4強入りを狙う上武大学は、東日本国際大学とのタイブレークまでもつれる激闘の末に敗れ、準々決勝で姿を消した。 1点を追う十回は無死一、二塁からスタートした。先頭の2番・荒巻悠(4年、祐誠)はバントを試みるも併殺打になり2死一塁。両校スタンドの大応援が鳴り響く中、続く3番・西原太一(3年、宮崎商)が放った打球は遊撃への平凡なゴロになった。二塁走者がアウトになり、試合終了。一塁を駆け抜けた西原は相手の歓喜の瞬間を見つめ、がっくりと肩を落とした。 「スタンドの応援を見て、絶対に(走者を)かえさないといけないと思い、打席に立ちました。チームのみんなに申し訳ないです」。今大会は2試合で計8打数無安打。自慢のバットで快音を響かせることができず、「調子が悪かったのもありますけど、単純に実力不足です」と唇をかんだ。 西原はこの日、高校時代の旧友の姿を目に焼きつけてから試合に臨んだ。一つ前の試合で救援登板し、早稲田大学相手に2回無失点と好投した九州産業大学・日高大空(3年、宮崎商)のことだ。劣勢の中、緩急をつけた投球で強打者が並ぶ打線を翻弄(ほんろう)した。 宮崎商では日高がエースで西原が主砲。今大会の直前、LINEで連絡を取り、「いずれは当たる相手だから、それまでお互い勝ち進もうな」と誓い合った。両校とも同日に敗れ、約束は果たせなかった。それでも、一度は絶望の淵に立たされた2人が、時を同じくして大学野球最高峰の舞台を踏んだことには大きな意味があった。