源田壮亮「優勝を目指せるチーム。そこを目指してやるだけ」
WBCですばらしいがんばりと活躍を見せ、侍ジャパンの優勝に大きく貢献した彼は、今、日本一を目指して戦いに挑もうとしている。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」No.876(2024年3月21日発売〉より全文掲載) [画像]源田壮亮選手
シーズン中は苦しいこともある。でも、それが全部吹き飛ぶのが優勝
「ピッチャーもそうだし、味方の選手、それにファンの人もそう。あそこに飛んだら大丈夫だ、源田なら捕れるという安心感を持ってもらえたらと思いながら、やっていますね」 埼玉西武ライオンズの源田壮亮は、“自分が守備をするときに心掛けていることは?”という質問に、こう答えてくれた。球界を代表するショートストップである。2018~23年、つまり昨年まで6年連続でゴールデングラブ賞に輝いているのが何よりの証拠だ。 もちろん源田は、プロ野球ファンの間では、高い人気を誇っている。が、その名が一般の人にまで深く浸透したのは、やはり昨年に行われたWBCだろう。 1次ラウンドB組第2戦・韓国戦の3回。二塁走者として帰塁した際、源田は右手を骨折してしまう。このときはまだ骨折とわかっていなかったが、ここからのドラマがすごい。一度はベンチに引っ込むが、また走者として塁上へと戻り、その回を終了してから、ようやく交代したのだ。それには、もちろん理由があった。 「中野選手(拓夢・阪神、源田の交代選手)の準備の時間を少しでも作れたらと思ったんです。あの雰囲気、あの緊張感のなかで、彼がポンッとセカンドランナーとして入っていくのは、けっこう難しさもありましたから。それで“ちょっと準備しといて”と言って、セカンドに戻った。自分も多少なら大丈夫でしたし」 普通はこれで終わる。しかし、源田はその後2試合に欠場したものの、準々決勝以降は出場し続けた。骨折箇所をテーピングで固定して、だ。これにはWBCの記者の一人も“本当に感心させられた。 源田が見せたヒーローのようなプレーは、この大会を思い出すときに占める大部分になるでしょう”と綴っているのだ。 「欠場の選択肢はありませんでした。小さい頃WBCを見て、夢を与えてもらいましたから。日本代表のユニフォームは特別ですし、これまで何度か選んでもらいましたけど、ベンチにいることが多かった。坂本(勇人・巨人)選手がショートにいたので。 だから、この大会に懸けていたというか、自分の人生ですごく大きい大会になると考えていた。最後まで戦い抜いて世界一になるというのがありましたね。ライオンズが、最後まで悔いなくやりなさいと背中を押してくれたのも感謝しています」 そして帰国後にはある変化が…。 「本当に声をかけられることが多くて、すごくありがたい。“骨折の人”みたいな(笑)。やっぱり、自分としては選手の価値を上げていかないといけないし、僕が小さい頃、WBCで夢を与えてもらったように、次は自分がそういう立場になれたので、子供たちに野球に興味を持ってもらえればと思っているんですよ」