町には更地が広がり…「復興には時間がかかる。若者はどんどん珠洲から出ていくでしょう」【現地ルポ 能登半島地震まもなく1年】
【現地ルポ 能登半島地震まもなく1年】#3 将来への不安が、住民を襲う。 石川県珠洲市の中心地から5キロほど東に行った蛸島町は、正月の地震で8割の家が全半壊し、被害を免れた家はほとんどなかった。 【写真】能登半島地震で大半が液状化 耐震化だけでは被害は防げない…都心のタワマンは大丈夫か? 本紙記者が震災直後の1月9日に訪れると、液状化でところどころ道路が盛り上がり、何軒もの家が倒壊。行く先々でがれきが道をふさぎ、場所によっては歩くことさえ難しかった。 あの町はどうなったのか──。先月下旬に再訪すると、正月とは全く違った光景が広がっていた。というのも、被害の大きかった家は、ほぼ全て解体されていた。 趣のあったかつての古い町並みも、虫食い状の更地が目立つためどこか殺風景に。地元住民でさえも「時々、どこを歩いているのか分からなくなる」と漏らすほどだ。 出歩く住民もあまりおらず、道端で出くわすのは解体業者の方が多いくらいだった。 町の東端にある一軒家で暮らす80代の男性は、地域の変化をこう嘆く。 「被災してからこの町の人口は、体感で半分くらいになったと思います。前からここは高齢者ばかりだったから、今さら新しく家を建ててもしょうがないし、そのお金もない。復興には時間がかかるはずだから、その間にも若者はどんどん珠洲から出ていくでしょう。この地域の未来が思いやられます」 石川県によると、「奥能登」と称される輪島、珠洲、能登、穴水の4市町の人口は、先月1日時点で4156人(約7.5%)減った。前年同期比で約2.5倍の減少数だ。被災地では「ここは働き口もなく、地震も起きる。若者に『残ってくれ』とは言えない」といった声も聞こえてきた。 珠洲市に通学する高校2年の男子生徒もまた、卒業と同時に地元を出るつもりだという。 「ここは仕事もないし、自分も金沢の大学に行き、そこで就職したい。葛藤? もちろんありますよ……。僕の両親は『家を継ぐなんて考えずに、金沢に行ってもいいんだよ』って言うけど、本心じゃないんだろうなと複雑な気持ちで聞いています。でも、こんな大変なことがあったからこそ、地元で頑張りたいという気持ちが少し生まれたのも本音です。もし地元に残るとしたら、自分は海が好きなので漁師になりたいです」 若者の流出と高齢化。重い課題を前に、被災地は揺れ動いている。=つづく (取材・文=橋本悠太/日刊ゲンダイ)