余命宣告を受けた写真家が教える「将来の夢」と「なりたい職業」の決定的な違い
撮影しようと思わなければ、1人で日本中をボロ車で旅して、行動範囲を広げることもなかっただろう。いろんなことを見て、いろんな人に会って、知識をつけて自分の世界を広げることもなかっただろう。 好きなことが何か、嫌いなことが何かがわかったのは、自分の世界を広げると同時に、写真という「好きそうなこと」を実際にやって試し、好きになったからだと思う。 息子が大きくなり、「好きでやりたいことがわからない」と言うなら「考えていないで試してごらん」と教えてあげたい。やってみて、違ったら別のことをする。それでも違ったら、別のことをする。いずれ考えてもわからない答えが見つかるはずだ。 ● 夢のツールとして有効な仕事を 息子が見つけるための親のヘルプ 写真はあくまで僕の場合のツールであり、息子に薦めるつもりはない。 ただし、親としては、息子に広い世界観と価値観を与えてあげたいと考えている。 息子には、なるべくたくさんのものを見せてあげたい。 いろんな職業、いろんな仕事があるということを教えてあげたい。僕の母は看護師で、両親はともに働いていたけれど、僕に広い世界観と価値観を与えてくれたわけではない。うちの両親が特別にだめな親だったのではなく、それが昭和の価値観を持つ親の世代の当たり前だったのだと思う。 30歳くらい歳が違う僕は、親とは違う世代の親なのだから、違うやり方で息子にできることをしたい。夢のツールとして有効な仕事を選ぶのは子ども自身だが、選択肢を増やすくらい、親がヘルプしたっていい。 この世界にはいろんな職業があるけれども、若いうちは接することがないから、「知っている仕事」の中から「できそうなこと」を選んでしまう。 もしも間に合うのなら、いろんな仕事をしている僕の友だちや知り合いを、息子に会わせたい。夢によって、叶えやすい働き方と、そうでない働き方もあるだろう。会社員のメリット、フリーランスのメリットも、実際にやっている人に聞いたほうがよくわかるだろう。 息子にたくさんのことを教えるには、僕自身が世界を広げて、さらにいろんな人と出会う必要もあるとも考えている。 それでも職業は、しょせん職業。ただのツールだ。この先、日本人の働き方も変わるだろうし、息子と僕はおよそ30歳違い、世代はまったく別だ。価値観も変わるだろう。息子が大人になるころは、人間が働いているかどうかもわからない。 だからこそ、仕事のために生きるよりも、自分の夢を持ってほしいと願っている。
幡野広志