余命宣告を受けた写真家が教える「将来の夢」と「なりたい職業」の決定的な違い
息子には、夢と仕事とお金の関係をちゃんと知ってほしい。「普通はこうだから」と職業=夢にして、つまらない大人にならないように。 僕はこれまで、好きなように生きてきた。 だから息子にも、好きなように生きてほしい。 やりたくないことはしなくていいし、嫌いなことからは逃げていい。 でも、そうするためには、やりたいことと好きなことをしなければいけない。 とはいえ、「好きでやりたいことが見つからないと、嫌いでやりたくないことをしないとだめなんだぞ」なんて、大事なわが子をおどかすつもりはない。 なぜなら、「好きでやりたいこと」が見つからないと、「嫌いでやりたくないこと」もわからないからだ。 片方が光だったら片方が影。 影を防ぎたいなら、光を持つしかない。「好きでやりたいこと」というのは人それぞれ。僕は息子に「これをやったほうがいい」とアドバイスするつもりはまったくないし、そもそも息子にしかわからないことを親が教えたりはできない。本人が見つけるしかないのだ。 ● 好きなことでお金を稼げたら いいなと考えるようになった 僕は写真家だけれど、最初から写真家を目指していたのではない。 写真を撮りはじめたのは高校を卒業してから。そのときにガンで父がなくなり、遺品にカメラがあったので、なんとなく撮り始めた。整備士だった父が、趣味で雪山の写真を撮るために使っていた一眼レフカメラ。フィルムだった。 そのころの僕は、本を読んだり、映画を見たり、考えごとをするのは好きだったけれど、自発的に何かをするということがほとんどなかった。まったく行動的でもなかったから、何か趣味がほしかったのだと思う。 猫。海。空。今では恥ずかしくて見られない、目もあてられないようなひどい写真。それでもそのころは「結構いいな」と思っていたし、何より単純に写真が好きだったから、好きなことでお金を稼げたらいいなと考えるようになった。 10代から20代のはじめの僕は今よりずっと物知らずで、「幸せになりたい」という夢に写真がどうつながるかまでは、わかっていなかった。 しかし、写真が僕の世界を広げてくれたことは確かだ。 たとえば、「離島の暮らしってどういうものかな?」と知りたくて、知らない場所に行く。行けば何かしら、知識が得られる。知りたいことを知るという営みそのものが楽しくてたまらず、カメラは知ったことを記録できる魅力的な道具だった。