手綱も鞍もなし、時には落馬で骨折や命落とす……内モンゴルの暴れ馬ならし
日本の3倍という広大な面積を占める内モンゴル自治区。その北に面し、同じモンゴル民族でつくるモンゴル国が独立国家であるのに対し、内モンゴル自治区は中国の統治下に置かれ、近年目覚しい経済発展を遂げています。しかし、その一方で、遊牧民としての生活や独自の文化、風土が失われてきているといいます。 内モンゴル出身で日本在住の写真家、アラタンホヤガさんはそうした故郷の姿を記録しようとシャッターを切り続けています。内モンゴルはどんなところで、どんな変化が起こっているのか。 アラタンホヤガさんの写真と文章で紹介していきます。 ----------
モンゴルといえば夏に行われるナーダムが有名だ。ナーダムとは、もともとシャーマンによる儀式が起源で、オボー祭りと強い関連性があった祭典だと考えられている(【写真特集】故郷内モンゴル 消えゆく遊牧文化を撮る―アラタンホヤガ第3回)。モンゴル帝国時代は軍事訓練の色合いが強くなり、相撲、競馬と弓射などが行われてきた。 ナーダムは、文化大革命等の影響で伝統的な行事が禁止された歴史があり、長い間中断されていた。しかし2000年以降は、観光ビジネスや少数民族による地域文化復興などの活動で、行われる数と規模がどんどん増えてきた。本来ナーダムは、夏から秋の短い期間に行われることが一般的だ。しかし現在は、伝統文化や観光ビジネスのため、冬もナーダムを行うことが多くなっている。 私が初めて、内モンゴルの冬祭りを訪れたのは2013年の1月。バルン・スニド・ホショーの冬祭りだった。会場には各地から調達した多くのラクダが集められていた。
ラクダ祭り以外に、最近は春になると、馬祭りが行われるようになってきた。車やバイクの普及により馬も激減し、馬に関する文化が忘れられてきた。そのことに危機感をもった遊牧民と地元政府が馬文化関連の協会を作り、主に競馬、そして焼印や去勢、暴れ馬ならしなどのイベントを行うようになってきた。 そもそも春は、馬が痩せているので、昔はこのような祭りはあまり行われなかった。焼印や去勢、暴れ馬ならしなどは近隣同士が集まり、お互いに助け合いながら行う日常的な作業にすぎなかった。 しかし、遊牧社会の崩壊、馬群の激減などでこれらの行事が行われなくなったり、一家族単位で小規模にやるようになった。 例えば暴れ馬を、オールガ(皮ひもが付いた馬捕り竿)を使って捕まえて、裸馬のまま乗る。しかし、手綱もないので、たてがみを掴み、暴れる馬を乗りこなし、我慢できずに人間が落とされるか、あるいは馬が諦め、大人しくなって乗馬されることに慣れるようになっていくのか、となる。暴れ馬なので、当然誰でも乗れるわけではないし、馬に落とされると、時には骨折や死亡することもある。(つづく) ※この記事はTHE PAGEの写真家・アラタンホヤガさんの「【写真特集】故郷内モンゴル 消えゆく遊牧文化を撮る―アラタンホヤガ第8回」の一部を抜粋しました。
---------- アラタンホヤガ(ALATENGHUYIGA) 1977年 内モンゴル生まれ 2001年 来日 2013年 日本写真芸術専門学校卒業 国内では『草原に生きるー内モンゴル・遊牧民の今日』、『遊牧民の肖像』と題した個展や写真雑誌で活動。中国少数民族写真家受賞作品展など中国でも作品を発表している。 主な受賞:2013年度三木淳賞奨励賞、同フォトプレミオ入賞、2015年第1回中国少数民族写真家賞入賞、2017年第2回中国少数民族写真家賞入賞など。