NGT48・西潟茉莉奈、グループ最年長が10年目にたどり着いたアイドル象とは
NGT48の最年長として活動を続ける西潟茉莉奈。前編では、グループにおける自身の役割を聞いた。後編では、最年長としてのあり方、これまでの歩みにスポットを当てる。すると、最年長がたどり着いたアイドル哲学を教えてくれた。 【別カット】西潟茉莉奈、撮りおろしカット 西潟茉莉奈はNGT48最年長である。10月で29歳になる。2019年4月、柏木由紀がAKB48との兼任を解除されて以降、5年以上この肩書を背負ってきた。西潟「最年長ということで覚えていただけたり、最年少とコンビを組んでのお仕事をいただいたりするから、おいしいポジションだと思っています。今までは気にしている部分もあったけど、ここまできたらそれを武器にしようと思うようになりました。 ただ、実際の私は兄がいて、妹なんです。家でも同期といるときも妹タイプで、(本間)日陽からは『妹だよね~』って言われます。同期だけでいる空間では、食べ物を取り分けるのは日陽で、私は見ているだけ(笑)。トークを回してくれるのは日陽でした。1期生が少なくなってきたら、さすがにしっかりしなきゃと思うようにはなりましたけど」 しっかりとした大人。それが西潟茉莉奈の印象だ。それは、彼女がバイトAKBだった時代から変わっていない。 バイトAKBとは、半年間の期間限定で募集された企画で、合格者たちは物販でファンに商品を手渡したり、バックダンサーとして登場したりと、その活動は多岐にわたった。 そのバイトAKBに応募したのが、この世界に足を踏み入れるきっかけとなった。中学2年次にAKB48のオーディションを受けているが、都合が合わずに最終審査を辞退した過去があった。そのため、18歳になっても「アイドルになりたい」という思いはくすぶったまま消えることはなかった。 西潟「バイトAKBのメンバーになったのが、10年前の秋でした。母から『これならやれるんじゃない?』と勧められたんです。でも、バイトAKBの活動は想像以上に過酷でした。振付や立ち位置をはじめとして、アイドルってこんなにも覚えることがあるのかと驚きました。身も心も疲れてしまったから、バイトAKBの子がドラフト会議の候補生になれる最終オーディションがあったにもかかわらず、私は辞退しようとしたんです。そのオーディションの日の朝、母と大喧嘩をしました。アイドルになりたかった過去がある母は、私にその夢を託そうとしていました。『落ちてもいいから行くだけ行きなさい』と背中を押されて、泣きながら会場に向かいました。結果、そのオーディションに合格して、ドラフト会議で指名してもらって、今の私があります」 人生は何が起きるかわからない。西潟は身をもって体験した。東京育ちの西潟は、母への感謝を忘れない。 西潟「東京でお仕事があったら、実家には帰るようにしています。今でも考えることがあります。あの日、母に背中を押されなかったら今頃、何をしていたんだろうって。芸能活動はせずに、働いていたでしょうね」