介護経験者から見ても自然...奥田瑛二が語る“認知症患者”を演じる難しさ
撮影が始まってから、ずっと「孝蔵」になっていた
――まさか、そのレベルまでご自身を追い込んでおられたとは......。確かに、作中での演技のクオリティは本当に素晴らしかったです。役に入り込むために意識しておられることはあるのでしょうか。 【奥田】それは、何かを意識すればできる、というものではないですよ。だって、僕はどうやっても健康体なわけですから。やはり「3人目の僕」を迎える必要があるんです。 ――「3人目」というのは? 【奥田】まず1人目はそのままの自分。そして2人目は、僕という人間を客観視してくれる、いわば「良い奥田君」です。この奥田君には、今までの人生でも散々助けられてきました(笑)。 でも、自分とはまったく違う人間をしっかり演じようと思ったら、この1人目、2人目では足りない。そのためには、まったく違う「3人目の奥田」を連れてきて、自分の中にバーンと「入れる」ことが欠かせません。これは、いくら頭で「こうしよう」と思っても、できることではありません。逆にそれさえできれば、何の心配もなくカメラの前に立てると思っています。 ――その「3人目」は、今回どう連れてこられたんでしょうか。 【奥田】やはりまず、僕がもっともっと認知症の方のことを知らないといけません。撮影前には、富山県のグループホームへ何度か見学に行きました。 そういう施設で直接お話ししてみると、同じ認知症の方でも本当に色んな方がいらっしゃることが改めてわかりました。 普通にご飯を食べられて、話す内容にも理屈が通っている方もいれば、支離滅裂なことばかり話される方もいる。そこで、あえて質問はせず、僕自身が認知症の方と同化してみることにしたんです。「この方は今どんなことを思っているのか」といったことを想像して、わかったことをノートに書き込みながら、ずっと観察させていただいて。 その経験を通じて感じたのは「孝蔵は認知症の人だ」ではなく、「こういう性格だった孝蔵という人が、認知症になってしまった」と思わねばならないということです。それが腑に落ちた頃、ようやく自分の中に「里谷孝蔵」という人が出来上がりました。 そうしたらあとはもう何も考えず、すっとカメラの前に立っていました。 だから、クランクインしてから撮影が終わるまで、僕はずっと「孝蔵」だったんです。