佐藤弘道、脊髄梗塞の診断に「絶望のふちに立たされた」 光照らした家族の支えと目標を明かす
■病名を聞き「もうダメだ」…リハビリの日々
――脊髄梗塞と聞いたとき、どう思いましたか? 落ち込みました。もうダメだと。絶望のふちに立たされたというか。とにかく見たときに“治らない病気”って書いてあって。治らない病気があるんだ、ということに驚きました。 ――(体を)自由に動かせなくなることの怖さは? ありましたね。恐怖もありましたし、喪失感というか、これからどうしようという気持ちもありました。 ――入院中のリハビリはどんなことをしましたか? 最初は病室で脚をマッサージしてもらったりとか、指を動かすこと。あとは「この指、今どこ触ってるかわかりますか?」という感覚。理学療法士さんに行ってからは、膝の曲げ伸ばしとか上げ下げとか。今もそうなんですけど、右脚の膝を曲げたときに左脚が同じところまで曲がるかとか、感覚のリハビリもするんですけど、そこがいまだにズレがあるので。“ここに脚をタッチしてください”って言われたときに、足がスッと出ないので。股関節の周りの筋肉を鍛えたり。 ――何が一番大変でしたか? 病気と向き合うことが大変でした。体を鍛えるとかはずっとやってきたので、全然苦ではないんですけど、精神面を乗り越えることは一番キツかったですかね。 まず、受け入れられない。“なんで自分だけ”みたいな。“なんでこんな病気になったんだ”とか。“何が原因だったんだろう”とか。ただでさえ健康については人一倍気をつけていたので、“なんでこんな神様、意地悪するんだろう”とか。そんなことばっかり考えていました。マイナスなことばっかり。 原因は不明です。今まで人間ドックとかでも特にひっかかるような要素もないですし、本当にある日突然、誰がなってもおかしくない。 ――現在はどのようなリハビリを? 通院に関しては週に2、3日通わせてもらって、理学療法士とパーソナルトレーナーにメンテナンスと体を鍛えることをやっていただいて、あとは自宅で生活自体がリハビリなので、立ったりしゃがんだり動いたり、掃除したり洗濯したり、洗い物したり料理したり…っていうのが全部リハビリになってくるので。 トレッドミルで歩く練習したり、エアロバイクで両脚同じ動きをすることによって、右脚の機能に左脚が近づけるようにトレーニングしたりとか。