ノーベル平和賞機に坪井直さんの遺志継ぐ決意新た…核兵器廃絶へ「ネバーギブアップ」
〈核兵器廃絶、絶対に諦めぬぞ。ネバー ギブ アップ!〉。広島から被爆者運動を引っ張った坪井直さん(2021年に96歳で死去)は生前、年賀状にそんな言葉を残していた。ノーベル平和賞に被爆者団体の全国組織「日本原水爆被害者団体協議会(被団協)」が選ばれたのを機に、広島県被団協副理事長の植田雅軌さん(92)は坪井さんからの年賀状を見返し、証言を続ける決意を新たにしている。(呉支局 池尻太一) 【写真】広島の被爆者運動を先導した坪井直さん
いつも熱く
植田さんは、13歳の時に爆心地から1・2キロ離れた軍需工場で被爆。粉々になったガラス片が頭に刺さり、血だらけになったが、命は助かった。 戦後は小学校教諭になり、「被爆教師の会」にも入って被爆体験を子どもたちに伝えた。「けんかはしてもいい。でも、最後はお互いに謝れ。そして、戦争は絶対にやったらいかん」。いつもそう語り聞かせた。 6歳上の坪井さんと出会ったのは、定年退職後に被団協の活動を初めてからだ。初対面から核廃絶への並々ならぬ信念に圧倒された。坪井さんは、県被団協初代理事長の森滝市郎さん(1994年に92歳で死去)の「核と人類は共存できない」という言葉を大切にし、「核がなくならなければ、本当の平和な世界は来ない」といつも熱く語った。 忘れられない光景がある。県被団協の旅行で訪れた山口市の湯田温泉で、坪井さんの全身の手術痕を見て、「この体のどこから、これだけの闘志と力が湧いてくるのか」と驚いた。「原爆で一度死んだ身だから、惜しみなく使える」。坪井さんはそう笑っていた。 2009年に「核兵器のない世界」を呼びかけたオバマ米大統領(当時)が平和賞に輝いた時には、「被爆者が受賞しないと世界は動かん」と、さらに気持ちを高めていたという。
毎年やり取り
坪井さんの死去から3年。11日に届いた平和賞受賞決定のニュースに、「坪井さんなら『核廃絶を実現するまで力を尽くせよ』と言うだろう」とその姿が真っ先に浮かんだ。 坪井さんとは毎年、年賀状のやり取りをしていた。核廃絶への決意をたっぷり印刷で記し、直筆で感謝の言葉などを書き添えるのが定番のスタイル。家を探してみると、09~15年の7枚が出てきた。