イタリア総選挙、銃撃事件で移民問題が争点に浮上 変わる差別の構図
差別されていた南部で差別主義政党支持も
現在のイタリアで暮らす外国人の数は約500万人。過去4年の間にイタリアに定住する難民申請者が60万人を突破したため、アフリカ出身者やイスラム教徒のイメージが強くなっているが、イタリアで暮らす外国人の約20パーセントはルーマニア人で占められている。2016年の時点で約115万人のルーマニア人がイタリアで暮らしていることが分かっている。彼らのほとんどは出稼ぎ労働者としてイタリアに滞在しており、その中には、少数民族「ロマ」の人々も多く含まれている。ロマによる暴力犯罪が2000年代中頃に急増したため、イタリア政府は2007年に犯罪歴のあるルーマニア人を大量に国外退去させたが、現在もルーマニアからの移民は増え続けている。 アフリカ出身者やイスラム教徒がイタリアにやって来ること自体は珍しい話ではなかったが、西ヨーロッパに向かう中継地点的な位置付けとしてイタリアに多くの移民や難民申請者が留まるようになったため、イタリア社会にも変化が生じている。 ローマで建築士として働くクリスティアーノ・リッパさんが、イタリア社会に残る差別の文化について体験を基に語る。イタリアには北部の住民が、フィレンツェ以南の住民を“二級市民”と蔑んで差別する文化が残っており、ローマ出身のリッパさんも過去に差別的な言葉で呼ばれた経験が何度かあるのだという。 「イタリアは19世紀に統一が行われ、今のような国になりましたが、当初は今のような北部と南部の大きな経済格差はありませんでした。いわゆる南北問題が顕著になったのは、第二次世界大戦が終結してからしばらく経ってからのことで、トリノやミラノ、ジェノバといった町を中心にイタリア北部では工業化が進みましたが、南部は工業化や開発から取り残されたのです。裕福な北部と貧しい南部の図式は変わらず、加えて南部の住民を見下す風潮が北部で増大し始めたのです」 イタリアで移民の存在が大きな社会問題となる以前、社会で差別に直面する人の多くが南部出身者であった。その構図は移民や難民が大挙してイタリアに上陸したことや、イタリア国外で発生したイスラム過激派によるテロによって変化したものの、差別そのものはイタリア社会に長年にわたって残る問題だとリッパさんは嘆く。 「イタリアには『テッローネ』という言葉があります。もともとは南部の地主を意味する言葉でしたが、現在は『いい加減な人物』というニュアンスで南部の人間に対する蔑称として使われています。しかし、北部に長年にわたって存在した差別主義の象徴である北部同盟がイタリアにやって来るイスラム教徒を標的にすると、これまで差別されていた側の南部でも北部同盟やネオファシスト組織を支持する若者が増え始めました。非常に悲しい話です」