【世界の野球アメリカ編3】履歴書とビデオを自作し、球団に売り込む日々
フロリダ州メルボルンでは毎日練習に励みながら、インターネットで次のトライアウト先を探す毎日を送っていた(2010年当時の映像)
【連載・色川冬馬の世界の野球】 2015年から、野球のパキスタン代表監督を日本人の色川冬馬さん(25)が務めている。選手としてアメリカの独立リーグやプエルトリコ、メキシコのリーグでプレーし、その後代表監督としてイラン、パキスタンを指揮した色川さん。これまでの経験を通じて世界各地の野球文化や事情を紹介するとともに、日本野球のあるべき姿を探っていく。 ◇
初めてのアメリカ挑戦から帰国後、私はさらに心を閉ざしていた。気心の知れた仲間のみに真実を伝え、再びアルバイトを見つけて、トレーニングを再開した。今振り返れば19歳の反抗期だったのかもしれない。自分の思う世界が描けなく、もがき、誰とも話をしたくなかった。 そんな何の取り柄もない私を救ったのは、当時の仙台大学トレーニングセンター長加賀洋平氏(現GS Performance代表)だった。大学内で行き場をなくした私にトレーニングプログラムを与えてくださり、私のバカみたいな話にいつも付き合ってくれた。S&C(米国の大学スポーツにおける競技力向上を目的に誕生、発展したトレーニングプログラム)の本場アメリカへ渡り、本気で自分と向き合って生きてきた加賀氏の存在は、競技を超えて私のロールモデルになっていた。
再びアメリカへ
そして迎えた2010年の冬。私は独立リーグのトライアウト(入団テスト)を受けるためにフロリダへと飛び立った。 現地へ到着して数日、私の故郷・仙台では成人式が行われていた。フロリダは深夜遅い時間だったが、仲間が電話をくれ、みんなの声を聞くと、私は俄然やる気が高まった。私が宿泊していた「バッキーデントベースボールアカデミー」という施設には簡易ベッドがいくつも置かれていて、壁を歩くヤモリとともに暮らしていた。 到着して数日、トライアウトを受験する仲間が徐々に増え、1週間のプログラムがスタートした。初日、予定されていたプロのコーチがなぜか現場に姿を現さなかった。そして、地元の大学のコーチだという人物のトレーニングセッションがスタートした。私は、何が何だか訳も分からずに参加していた。