【世界の野球アメリカ編3】履歴書とビデオを自作し、球団に売り込む日々
トライアウトにスカウトが来ない!
このときに感じた嫌な予感は、的中した。そのトライアウトには、最後の最後までプロ野球のスカウトが来ることはなかったのだ。体裁は「トライアウト」と言いつつ、スカウトらしき人すら来なかった。当然、集まった選手は全員怒っていた。それでも私は意味もなく何かを信じ、最終日まで練習に参加した。正確に言えば、英語がうまく話せない私は泣き寝入りするしかなかった。 しかし、「人間万事塞翁が馬」。素晴らしき出会いが、この1週間で2回もあった。1人は選手として参加していたアメリカ人のミチ、もう1人は現地に在住していた日本人の長又淳史氏(現広島東洋カープ通訳)との出会いだった。 その不思議なトライアウトを終え、移動手段も住む場所もなく、そして英語がうまく話せない私は行き先をなくしていた。そんな危機を救ってくれたのが、ミチだった。何がきっかけで仲を深めたかは覚えていないが、その後2人でフロリダ州メルボルンにある彼の家に移動し、次の行き先が決まるまでの間、滞在させてもらうことになった。
フロリダで広げたネットワーク
私は年齢が3つ上のミチを兄貴のように慕い、メルボルンへ行ってからも毎日練習に励みながら、インターネットで次のトライアウト先を探す毎日を送っていた。ミチからは、本当に多くのことを学んだ。自分を売り込むための履歴書を作り、ビデオを作成し、球団の連絡先を調べ、送るということを繰り返していた。 ある日、そんな私たちを見たフロリダ技工科大学野球部の監督が、私たちに大学の施設を使う許可を出してくれた。それからは練習のたびに仲間が増え、フィリーズとマイナー契約をしている選手や、ニカラグアのウィンターリーグに向けて準備を進める選手たちと練習をするようになっていた。さらに、大学の選手とも仲良くなり、同世代のパーティなどにも誘ってもらい、アメリカ文化にのめり込んでいった。しかし、肝心の野球の方は、その後も応募したトライアウトがキャンセルになるなど運にも見放され、もどかしい日々を過ごしていた。